「俺は当時25歳(実際は24歳)。全部ブロックして、Jキッド(ジェイソン・キッド)やGP(ゲイリー・ペイトン)からのパスを全部ダンクしていた。モーターを備えていて、30分以上プレーした試合もあった。毎試合、立ちはだかる相手をぶっ潰した。
ルディ・トムジャノビッチ(当時アメリカ代表HC)、ラリー・ブラウンとタビー・スミス(ともにアシスタントコーチ)も『俺たちはアメリカだ』という自負を覗かせている感じだった。ラリー・ブラウンに至っては、『すべての相手を倒すぞ。36点差で退けないと、ここにいるべきではない』という雰囲気だったよ」
そう話すKGが24年のパリ・オリンピックで期待するのが、今年12月に39歳となるレブロンだ。08年の北京オリンピックで、コビーが果たした役割を求めている。
「コビーはみんなに自分のことを知ってもらいたかった。若い連中はコビーを本当の意味で理解していなかった。でも、コビーのようなエネルギーを与えられる選手は必要。そして、それを吸収できる若手を5~6人連れて行くべきだ。進歩するだけでなく、(ベテラン選手から)与えられたものを取り入れ、素早く自分に還元して活用するんだ」
04年のアテネ・オリンピックで銅メダルに終わって迎えた08年の北京大会、キャプテンのコビーはレブロンやドゥエイン・ウェイド、カーメロ・アンソニーらのサポート役に回り、周囲を鼓舞。当時の最強メンバーを集結させた代表は「リディームチーム」と呼ばれ、見事に金メダルを獲得した。
年齢も考えれば、レブロンのオリンピック出場は難しさを伴うかもしれないが、国際舞台での“ラストダンス”で、アメリカの栄光のためにチームを陰で支えることも決して厭わないはずだ。
構成●ダンクシュート編集部
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