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NBA

“史上最高クラスのドラ2”と“史上最低レベルの外れドラ1”を生み出した2007年。対照的なキャリアを辿った2人の数奇な運命【NBAドラフト史】

大井成義

2020.01.10

大器と喧伝されたオーデンは1年目の開幕前に右ヒザを手術。以来、故障が癒えることはなく、史上最大級の“外れドラ1”という不名誉な称号を授かることに。(C)Getty Images

大器と喧伝されたオーデンは1年目の開幕前に右ヒザを手術。以来、故障が癒えることはなく、史上最大級の“外れドラ1”という不名誉な称号を授かることに。(C)Getty Images

 その中で、レギュラーシーズンMVPや得点王を獲得したことがあるのはデュラントのみ。デュラントはその他にも、優勝2回、得点王4回、レギュラーシーズンMVP1回、ファイナルMVP2回、オールスターMVP2回と、数々の勲章を手にしている。

 大昔まで遡れば、ビル・ラッセル(1956年)やジェリー・ウエスト(1960年)、ボブ・ペティット(1954年)、リック・バリー(1965年)、ボブ・マッカドゥー(1972年)など、大成した選手が何人か存在するものの、ラッセルは別格として、デュラントを〝史上最高クラスのドラ2選手〞と称しても違和感はないだろう。

 そのデュラントは、別の年であれば1位で指名されても全然おかしくなかった。ところが、10年に1人の逸材との呼び声高いグレッグ・オーデンも同じ年にエントリーしたため、デュラントは2位の座に甘んじることになる。

 オーデンとデュラントという、2人の傑出した大学1年生がエントリーした2007年NBAドラフトの顔ぶれは、例年以上に充実していた。その理由は、前年にドラフトエントリーのルールに変更が生じたためだった。
 
 ケビン・ガーネットやコビー・ブライアントを皮切りに、プレップ・トゥ・プロ(高校から直接NBA入りすること)の道を歩む選手が2000年代に急増。そのブームを快く思わなかったリーグは、新たな労使協定を策定し、ドラフトの時点で19歳に達しているか、高校卒業もしくは中退から1年以上経たなければエントリーできないという新ルールを2006年から施行する。結果、2006年にプレップ・トゥ・プロでのNBA入りを狙っていた選手は、1年間カレッジでプレーした後、2007年のドラフトにこぞってエントリーすることになった。

 ドラフト当日、ESPNの中継番組にゲスト出演した名物バスケットボール・キャスターのディック・ヴァイタルは、「2003年(レブロン・ジェームズやカーメロ・アンソニー、ドゥエイン・ウェイドを輩出)より今年のほうが充実している!」と、いつもの調子でまくし立てた。2003年超えは大げさにしても、確かに1位のオーデンがデュラント並みの活躍を見せていれば、かなりの当たり年になっていたに違いない。だがしかし・・。
 
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