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NBA

“史上最高クラスのドラ2”と“史上最低レベルの外れドラ1”を生み出した2007年。対照的なキャリアを辿った2人の数奇な運命【NBAドラフト史】

大井成義

2020.01.10

4位指名のコンリーは派手さはないが、堅実な司令塔として着実に成長。のちにNBAのトップPGの1人と目されるようになった。(C)Getty Images

4位指名のコンリーは派手さはないが、堅実な司令塔として着実に成長。のちにNBAのトップPGの1人と目されるようになった。(C)Getty Images

■〝ラッセルの再来〞と称されるオーデンが1位指名の栄誉に浴す

 オハイオ州大1年のオーデンは〝ビル・ラッセルの再来〞、〝パトリック・ユーイング以来、カレッジ界最高のセンター〞と称され、将来リーグを代表するビッグマンになるだろうと考えられていた。

 オーデンが9歳の時、一家はニューヨーク州バッファローからインディアナ州テレホートに転居した。インディアナポリスのローレンスノース高時代から全米にその名を轟かせ、チームメイトのマイク・コンリーとのワンツーパンチを武器にインディアナ州では無敵を誇り、チームは全米1位にランクされたこともあった。

 コンリーとともにオハイオ州大に進学したオーデンは、高校時代に負った右手首のケガを完治させるため、6月に手術を敢行する。シーズン序盤はベンチからの観戦を強いられたが、戦列に戻るとすぐさま規格外のプレーを連発、1年目からチームをNCAAトーナメント決勝へと導く。決勝ではアル・ホーフォードやコーリー・ブリューワー、ジョアキム・ノアを擁し、2連覇を達成した強豪フロリダ大に敗れたものの、オーデンは25得点、12リバウンド、4ブロックと、全米トップセンターの実力を遺憾なく発揮した。
 
 一方のデュラントは、ワシントンDC出身。地元のAAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン)数チームで揉まれ、徐々に頭角を現わしていった。チームメイトにはマイケル・ビーズリー、グレイビス・ヴァスケス、タイ・ローソン、ジェフ・グリーンら、後のNBA選手が顔を揃えていた。高校は名門オークヒル・アカデミーやモントロス・クリスチャン高など3校を渡り歩き、卒業時にはオーデンに次いで全米2位の選手にランクされている。

 テキサス大に進学したデュラントは、平均25.8点、11.1リバウンドを記録し、ネイスミス・アウォードやウッデン・アウォードをはじめ、ほぼすべての個人賞を独占。ウッデン・アウォードと並び、最も権威のあるネイスミス・アウォードを1年生が受賞したのは、デュラントが史上初めてだった。当時、〝ケビン・ガーネット以来、最も完成された万能選手〞とも評されている。

『NBA.com』がドラフト開催前、誰が1位指名にふさわしいかアンケートを行なっている。5万4000人による投票の結果、オーデンの1位指名を予想した人は62%、デュラントが38%だった。
 
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