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NBA

“史上最高クラスのドラ2”と“史上最低レベルの外れドラ1”を生み出した2007年。対照的なキャリアを辿った2人の数奇な運命【NBAドラフト史】

大井成義

2020.01.10

1位指名のオーデン(左)と2位のデュラント(右)。ともに鳴り物入りでNBA入りした2人はまったく異なるキャリアを歩むことに。(C)Getty Images

1位指名のオーデン(左)と2位のデュラント(右)。ともに鳴り物入りでNBA入りした2人はまったく異なるキャリアを歩むことに。(C)Getty Images

■史上最大級の〝外れドラ1〞オーデンがその後に辿った道

 オーデンは1年目を右ヒザのマイクロフラクチャー手術のため全休し、その後も度重なる故障と手術、長期に渡るリハビリを繰り返した。さらには、故障に伴うパフォーマンスの低下により、期待に見合ったプレーはまったく披露できなかった。NBAで記録した数字は、平均出場時間19.3分、8.0点、6.2リバウンド、1.24ブロック。

 1980年代以降、NBA史に残る外れドラ1にはジョー・スミス(1995年)、マイケル・オロウォカンディ(1998年)、クワミ・ブラウン(2001年)、オーデン、アンソニー・ベネット(2013年)の5人がいる。その中で、オーデンの実質稼働期間と総出場試合数は最も少ない。

 キャリア総出場試合数は、わずか105試合(そのうちブレイザーズ時代が82試合)。稼いだサラリーの総額を総出場時間で割り、オーデンの平均出場時間(分)の19.3を掛けると日本円にして約2523万円。9試合の出場で日本人の平均生涯賃金を稼いだ計算になり、さらには時給に換算すると約8000万円。獲得したブレイザーズは、保険である程度はカバーできただろうが、精神的にも金銭的にも非常に大きな打撃を被ったはずだ。
 
 オーデンは2014年にヒートに在籍した後、NBAの舞台から去っていった。NBA最後のプレーは、スパーズとのファイナル第4戦、負けが確定した試合のガベージタイムに1分20秒の出場。ボックススコアに残っている記録は、パーソナルファウルひとつのみ。翌年、グリズリーズやホーネッツ、マブズなどとワークアウトを行なったが、NBA復帰には至らなかった。ケガがすべてを台無しにした、その典型とも言える選手だろう。

 史上最低レベルのドラフト1位選手と、史上最高クラスのドラフト2位選手が誕生した2007年のNBAドラフト。調べてみると、面白いことにドラ1が大外れの年は、決まって優秀でしっかりした2位の選手が存在する。

 オーデン→デュラントを筆頭に、1995年スミス→アントニオ・マクダイス、1998年オロウォカンディ→マイク・ビビー、2001年ブラウン→タイソン・チャンドラー、2013年ベネット→ヴィクター・オラティボ。ビビーだけがオールスターに選ばれていないが、皆リーグを代表する選手となっている。これは、長男がだらしない家は次男がしっかりしている、的なアレだろうか。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2016年9月号掲載原稿に加筆・修正。
 

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