■2001年のドラフトは1~4位がカレッジ経由ではなかった
先日、とあるウェブサイトで年ごとのNBAドラフト選手一覧を順に眺めていた際、ある年に目が止まった。その一覧表には、指名順位、チーム名、選手名、出身大学、スタッツが列記されているのだが、2001年の1位から4位までの出身大学が空欄なのだ。
1位ウィザーズ/クワミ・ブラウン/空欄
2位クリッパーズ/タイソン・チャンドラー/空欄
3位ホークス/パウ・ガソル/空欄
4位ブルズ/エディ・カリー/空欄
それ以前の年にもポツポツ空欄はあったものの、さすがに上位4人が真っ白となると違和感を覚えてしまう。空欄が目立つ年は2001年以降も続き、2003年から2005年までの3年間などは、なんと4~5割近くの出身大学が記載されていない。その原因は、プレップ・トゥ・プロ(prep-to-pro、高校から直接プロになる)選手、つまりカレッジを経由せずにNBA入りする若者が、1990年代後半から急増したためだ。
アメリカのカレッジスポーツにおいて、バスケットボールはアメリカンフットボールに次ぐ人気と規模を誇り、一大ビジネスと化している。強豪校ともなると全国から未来のスター候補が集結し、メディアの露出度も高く、ほとんど〝プロ養成所〞状態。高校で頭角を現わした少年が強豪大学にリクルートされ、全米に名前を売った上でNBA入りを果たす。それがエリート選手たちのゴールデンルートである。
だが、1990年代の後半から、そのルートとは別の道を選択する若者が目立つようになる。カレッジで基礎を学び、経験を積んで実力をアピールするよりも、NBAでのプレーを優先するプレップ・トゥ・プロのムーブメントが到来したのだ。
その先達を務めたのが、1995年のケビン・ガーネットと1996年のコビー・ブライアントだった。それまでにも、1975年のダリル・ドーキンス(2016年8月に死去)をはじめ、3人の高校生がドラフトされているが、大きな流れを作ったのは、ガーネットとコビーの2人と言っていいだろう。
彼らの登場によってもたらされた潮流が、巨大なうねりとなって現われたのが、2001年のドラフトである。史上初の高校生ドラ1、クワミ・ブラウンはその象徴であり、2年後にはレブロン・ジェームズという傑物が出現する。そして、それらのうねりは後のNBAに少なくない影響を与えることになる。
先日、とあるウェブサイトで年ごとのNBAドラフト選手一覧を順に眺めていた際、ある年に目が止まった。その一覧表には、指名順位、チーム名、選手名、出身大学、スタッツが列記されているのだが、2001年の1位から4位までの出身大学が空欄なのだ。
1位ウィザーズ/クワミ・ブラウン/空欄
2位クリッパーズ/タイソン・チャンドラー/空欄
3位ホークス/パウ・ガソル/空欄
4位ブルズ/エディ・カリー/空欄
それ以前の年にもポツポツ空欄はあったものの、さすがに上位4人が真っ白となると違和感を覚えてしまう。空欄が目立つ年は2001年以降も続き、2003年から2005年までの3年間などは、なんと4~5割近くの出身大学が記載されていない。その原因は、プレップ・トゥ・プロ(prep-to-pro、高校から直接プロになる)選手、つまりカレッジを経由せずにNBA入りする若者が、1990年代後半から急増したためだ。
アメリカのカレッジスポーツにおいて、バスケットボールはアメリカンフットボールに次ぐ人気と規模を誇り、一大ビジネスと化している。強豪校ともなると全国から未来のスター候補が集結し、メディアの露出度も高く、ほとんど〝プロ養成所〞状態。高校で頭角を現わした少年が強豪大学にリクルートされ、全米に名前を売った上でNBA入りを果たす。それがエリート選手たちのゴールデンルートである。
だが、1990年代の後半から、そのルートとは別の道を選択する若者が目立つようになる。カレッジで基礎を学び、経験を積んで実力をアピールするよりも、NBAでのプレーを優先するプレップ・トゥ・プロのムーブメントが到来したのだ。
その先達を務めたのが、1995年のケビン・ガーネットと1996年のコビー・ブライアントだった。それまでにも、1975年のダリル・ドーキンス(2016年8月に死去)をはじめ、3人の高校生がドラフトされているが、大きな流れを作ったのは、ガーネットとコビーの2人と言っていいだろう。
彼らの登場によってもたらされた潮流が、巨大なうねりとなって現われたのが、2001年のドラフトである。史上初の高校生ドラ1、クワミ・ブラウンはその象徴であり、2年後にはレブロン・ジェームズという傑物が出現する。そして、それらのうねりは後のNBAに少なくない影響を与えることになる。