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NBA

“史上最強のNo2”ピッペンや“提督”ロビンソンを筆頭に、好選手を多く輩出した隠れた当たり年【NBAドラフト史1987年】

大井成義

2020.01.14

1位で指名された“提督”ロビンソンはドラフトから2年後の1989年にスパーズに入団。平均24.3点をあげ満票で新人王を受賞した。(C)Getty Images

1位で指名された“提督”ロビンソンはドラフトから2年後の1989年にスパーズに入団。平均24.3点をあげ満票で新人王を受賞した。(C)Getty Images

■策士のクラウスGMが暗躍しブルズがピッペン獲得に成功

 5月17日に行なわれた第3回ロッタリーには、プレーオフ進出を逃した7チームが参加した。チャンスは7チームに対し均等に与えられ、1位指名権を獲得したのは、レギュラーシーズンを下から4番目の成績で終えたスパーズ。ロッタリー中継番組のインタビューで、「2年間の軍役があっても、ロビンソンを1位で指名するのか?」と聞かれたスパーズのボブ・バスGMは、「我々は10年間待っていたんだ、もう2年ぐらい待つよ」と、興奮を抑えながら答えている(1976年にABAから合流したスパーズにとって、初の1位指名権獲得だった)。

 6月22日、マディソンスクエア・ガーデンのフェルト・フォーラムに2300人の観衆を集め、注目のNBAドラフトは開催された。スパーズが1位で指名したのは、もちろんロビンソン。ドラフト中継番組で解説を務めた往年の名選手、リック・バリーは「もし自分がロビンソンの立場なら、スパーズと契約を結ばず、2年後にFAになる。そうすれば、好きなチームや、より条件の良いチームと契約を結ぶことができ、史上最高の契約を手にすることができるだろう」と本音をこぼした。当のロビンソンは、ワシントンDCで副大統領との朝食会がセッティングされていたため、ドラフトを欠席している。
 
 2位のサンズはUNLV4年のアーメン・ギリアムを、3位のネッツはオハイオ州大4年のデニス・ホプソン、4位のクリッパーズはジョージタウン大4年のレジー・ウィリアムズを指名。番狂わせを演じたのは、ニックスから指名権を得ていた5位のソニックス(現サンダー)だった。NBAコミッショナーのデイビッド・スターンがスコッティ・ピッペンの名前を読み上げると、会場は驚きの声に包まれた。

 アーカンソー州出身のピッペンは、高校時代にPGとして州レベルで活躍するも、185㎝、68㎏の痩せ細った少年にカレッジから奨学金のオファーは来なかった。高校のコーチの働きかけもあり、NAIA(全国大学体育協会、1986年にデニス・ロッドマンを輩出)というマイナーカンファレンスに所属する無名校、セントラルアーカンソー大に進学。当初はチームのマネージャーを務めていたが、1年の間に身長が5㎝伸びたことで、コーチはピッペンに選手としてのチャンスを与えた。

 2年後に身長は2mに達し、4年時の成績は平均23.6点、FG成功率59.2%、10リバウンド、4.3アシスト、3.1スティール。シーズン終了後の5月に、全米の有望選手を集めて開催されるアロハ・クラシックで目覚ましい活躍を見せ、スラムダンク・コンテストで優勝を飾る。また、ドラフト前のトライアウトでも優れたパフォーマンスを披露すると、NBA関係者の何人かが熱い視線を注ぎ始めた。
 

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