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NBA

“ドラフト史最大の謎”バード入団の経緯に迫る――規則の盲点を突いたセルティックスの奇策とは?【NBAドラフト史:1978年】

大井成義

2020.01.17

2位指名のフォードは1年目に平均15.9点を記録して新人王を獲得。だが、本命バードの不在に助けられた感は否めなかった。(C)Getty Images

2位指名のフォードは1年目に平均15.9点を記録して新人王を獲得。だが、本命バードの不在に助けられた感は否めなかった。(C)Getty Images

■SI誌の表紙を飾ったことで一躍注目を集める存在に

 アメリカ中西部に位置するインディアナ州は、全米で特にバスケットボール熱が高い州のひとつだ。その南部にあるウエストバーデンスプリングスにバードは生まれ、隣の人口2000人の小さな田舎町、フレンチリックで育った。バードが好んで口にするニックネームに、“The Hick from French Lick(フレンチリックから来た田舎者)”という自虐ネタがある。19世紀後半はスパタウンとしてたいそう栄え、ニューヨークあたりから保養客がわんさか来たらしい。

 6人姉弟(長女に男5人)という子沢山に加え、両親はバードが高校生の時に離婚。生活は困窮を極めた。2人の兄の影響でバスケットボールを始めたバードは、地元のスプリングバレー高で平均31点、21リバウンド、4アシストを記録し頭角を現わす。1974年、名門インディアナ大の熱血HC、ボブ・ナイトからリクルートを受け同大に進学した。

 ところが、3万3000人を抱えるキャンパスでの賑やかな生活に馴染めず、ホームシックにかかってしまう。バードは一度も練習に参加することなく、わずか24日間で大学を離れ、ヒッチハイクでフレンチリックに戻ってしまったのだった。
 
 地図でインディアナ大とフレンチリックの位置関係を調べると、直線距離にしてわずか70㎞。週末にふらっと帰れる距離だ。大学をごく短期間でドロップアウトした理由は、ホームシック以外にも何か他にありそうな気がする。気性の激しいナイトHCとのトラブルが原因だとする説もあるが、バード本人はそれを否定している。

 フレンチリックに戻ったバードは、地元の短大に入学するも、再びドロップアウト。地方自治体の職員として、ごみ収集車の運転やベンチのペンキ塗り、道路のライン引きなどの仕事に従事した。この年、父親がショットガンを用いて自殺。また、同年バードは高校時代の同級生と結婚したが、11か月後にスピード離婚している。

 翌1975年、インディアナ州大に新しく就任したHCから熱心な勧誘を受け、バードは同校に転入する。当時、インディアナ州の大学でバスケットボールと言えば、まずはインディアナ大、そしてパデュー大、ノートルダム大。インディアナ州大は名前すら出てこない、そんなレベルだった。

 規定により転入後1年間はプレーできなかったものの、2年目に平均32.8点、13.3リバウンドをマークし、それまで5割程度だったインディアナ州大の勝率を一気に9割近く(25勝3敗)まで引き上げてみせた。
 

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