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NBA

初代指揮官はバスケットボールの父。数多の名選手&コーチを輩出する強豪カンザス大の伝統に迫る【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.02.05

88年に2度目の全米制覇の立役者となったマニング。その後ドラフト1位でNBA入りし、オールスター選手となった。(C)Getty Images

88年に2度目の全米制覇の立役者となったマニング。その後ドラフト1位でNBA入りし、オールスター選手となった。(C)Getty Images

 アレンは70歳になった56年限りで勇退。彼の最後の置き土産は、高校から勧誘して入学させたウィルト・チェンバレンだった。最初の公式戦で52得点、31リバウンドを叩き出した怪物だったが、チームを頂点へ導くことはできず。57年のトーナメントでは、決勝戦でノースカロライナ大とトリプルオーバータイムの死闘を繰り広げるも、53-54で惜敗。それまで平均32.7点をあげていたチェンバレンは、トリプルチームを仕掛けられて23得点に抑えられた。

 その後、エキシビジョンチームのハーレム・グローブトロッターズに参加するため中退したチェンバレンは、NBA入りしてからも1試合100得点、シーズン平均50点など数々の大記録を樹立。NBAでのキャリア平均30.1点は史上2位、4度のMVPに選ばれ、奔放な私生活でも名を売った。
 
 その後もKUはビッグ8カンファレンスの強豪であり続けたが、トーナメントを制することはないまま時を重ねる。この間にもNBAには、低身長ながらリバウンドを取りまくったビル・ブリッジス、セルティックスのPGとして7回オールスターに選ばれたジョ・ジョ・ホワイトら、好選手を送り出してはいたものの、ロベレットやチェンバレン級のスターは生まれなかった。

 迎えた1983-84シーズン、NBAのデンバー・ナゲッツやニュージャージー(ブルックリン)・ネッツを指揮した経験を持つラリー・ブラウンが7代目のヘッドコーチに就任する。88年のトーナメント決勝では、エースのダニー・マニングが31得点を記録し、同カンファレンスのライバルであるオクラホマ大に逆転勝利を収め、36年ぶりの優勝を果たした。ブラウンは同年を最後に、サンアントニオ・スパーズのコーチとしてNBAへ復帰。シーズン通算942得点の学校記録を打ち立てたマニングは、88年にKU史上初のドラフト1位でロサンゼルス・クリッパーズに指名される。ケガが多く当初の期待ほど大成しなかったものの、オールスターには2度選ばれ、98年には最優秀シックスマン賞に輝いた。
 
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