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NBA

【コビー・ブライアント物語・Part2前編】シャックとのタッグで3連覇を達成も、確執でコンビは解散しチームも低迷へ

大井成義

2020.03.17

02年はカンファレンス決勝でキングスとの死闘を制し、ファイナルではネッツ相手に4連勝。自身はプレーオフ19戦中18戦で20点超えをマークした。(C)Getty Images

02年はカンファレンス決勝でキングスとの死闘を制し、ファイナルではネッツ相手に4連勝。自身はプレーオフ19戦中18戦で20点超えをマークした。(C)Getty Images

■史上最年少で3度の優勝を経験。03年には平均30点をあげたが…

 翌01-02シーズン、初めてオールNBA1stチームに選ばれる。人気の方もリーグ屈指を誇っていたが、地元フィラデルフィアで開催されたオールスターで凄まじいブーイングを浴びた。前年のファイナルで野次を飛ばしたシクサーズファンに対し、コビーが痛烈なコメントを発したことが原因だった。地元での心ないブーイングに大きく傷ついたと、後にコビーは漏らしている。

 プレーオフのカンファレンス決勝では、強敵キングスと歴史に残る激闘を演じた。粘るキングスを第7戦で退けると、ファイナルではジェイソン・キッド率いるネッツをスウィープで一蹴。レイカーズは見事3連覇を達成し、コビーは史上最年少で3度の優勝を成し遂げた。また、プレーオフでの第4クォーターの活躍ぶりから、クラッチプレーヤーとしての名声も確立。リーグのトップSGに上り詰めたのだった。
 
“ミスター・クラッチ”の異名を持つウエストは、選手、HC、エグゼクティブを通してレイカーズ一筋で、フランチャイズを象徴する人物の1人。憧れのチームに自分を招き入れてくれた彼をコビーは父のように慕い、深く敬愛していた。そのウエストがレイカーズを離れ、グリズリーズの球団社長に就任するとの発表があったのは、02年のプレーオフを戦っている最中だった。彼が下した決断は関係者に大きな衝撃を与え、当然コビーの受けたショックも並大抵ではなかった。

 ウエストはチームを去ったものの、それでコビーのアクセルが緩むことはなかった。02-03シーズンには平均得点で自身初の30点台を叩き出し、6.9リバウンド、5.9アシスト、2.21スティールはその時点でのキャリアハイ。2年連続でオールNBA1stチームに選出され、オールディフェンシブ1st チームにも返り咲いた。

 だがプレーオフでは、シーズン60勝と好成績をマークしたスパーズにカンファレンス準決勝で敗れ去る。

 この頃から、コビーとシャックだけではなく、コビーとジャクソンの間にも意見の食い違いが生じ、しばしば衝突するようになる。コビーはジャクソンの原理主義的なバスケットボール、とりわけトライアングル・オフェンスを退屈だと考え、システムを無視して勝手に1オン1を仕掛けて、ジャクソンの怒りを買うこともあった。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2020年4月号より転載

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