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NBA

“盗まれた栄光”“欺かれたアメリカ”。疑惑の判定でソ連に敗れ、屈辱に塗れたミュンヘン五輪の忌まわしき記憶

出野哲也

2020.07.15

■来るべくして来たアメリカの敗北の日

 当時はベトナムを舞台として、米ソが血で血を洗う戦いを繰り広げていた最中。文字通りの“敵国”から発祥したスポーツで金メダルを手にしたのは、ソ連にとってこの上ない国威発揚の機会となった。

 一方、アメリカにとってこの大会の出来事は“盗まれた栄光”と呼ばれ、忌まわしい記憶として残り続けている。ソ連に勝たせようという陰謀があったのだ、との説も流布し、アメリカ代表ヘッドコーチ(HC)のヘンリー・アイバの訴えを却下したFIBAの委員会は、5人の委員のうち3人が東側国家の人間だったことがその証拠とされた。

 だが2度目の判定に口を出し、時計を戻させたジョーンズ会長はアメリカにとって一番の同盟国であるイギリス人。しかも東ドイツならともかく、西ドイツのミュンヘンでの開催であったことを考えれば、一連の騒動は陰謀と言うよりも、単なる不手際と形容するのが正確だろう。

 そもそも疑惑の判定がなくとも、アメリカは大苦戦し敗北寸前だったのだ。代表のアシスタントコーチだったジョン・バック(のちのシカゴ・ブルズ3連覇時のアシスタントコーチ)は「ソ連代表は400試合も一緒にプレーしていたが、我々はたった12試合だった」と経験の差があったと認めている。アイバHCのディフェンス重視の戦術も、当時すでに時代遅れと見なされていた。
 
 代表の1人で、NBAを経て下院議員になったトム・マクミラン(メリーランド大/元ホークスほか)も、負けは認めていないが「18歳のガキが実質プロと戦っていたのだから、いずれ負ける日は来るんだ」と語っている。

 この大会を含め4度オリンピックに出場したセルゲイは、ミュンヘン五輪での活躍により、ソ連のスポーツ史上最大のヒーローの1人になった。1980年のモスクワ五輪では、バスケットボール選手で初めて聖火ランナー最終走者として聖火台に火を灯している(2010年バンクーバー冬季五輪にてスティーブ・ナッシュが2人目に)。1992年には海外出身者で初めてバスケットボール殿堂入り。なおアレクサンドルは1978年、セルゲイは2013年に亡くなったが、命日はともに10月3日だった。

 2大会ぶりの五輪となった日本は16か国中14 位に終わるも、エジプト、セネガルのアフリカ勢に勝利。キャプテンの谷口正朋はスペイン戦で39得点を叩き出し、平均23.9点は大会1位。阿部成章も平均14.7点で、谷口ともどもアジア最高と言われたバックコートコンビは実力を存分に発揮した。日本のオリンピックでの勝利は、不戦勝を除き現時点でこれが最後である。

文●出野哲也(フリーライター)

※『ダンクシュート』2019年12月号原稿に加筆、修正。

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