アンダーソンの個人スタッツはFG18/50(36.0%)、3ポイント10/31(32.3%)、フリースロー3/10(30.0%)、平均12.3点。スコットはFG13/42(31.0%)、3ポイント7/29(24.1%)、平均10.5点。2人のアウトサイドシュートがほとんど機能せず、マジックのオフェンスの幅を狭め、弱体化させてしまっていた。
だが何と言っても、初戦でのアンダーソンの4連続フリースローミス、それがすべてだった。あれさえなかったら、その後の勝負はどちらに転んでもおかしくなかっただろう。このファイナル以降、アンダーソンが本来の姿を取り戻すことはなかった。
優勝こそ達成できなかったものの、マジックはまだまだ若いチーム。チャンスはこの先いくらでもあるはず、そう誰もが思っていた。
翌1995-96シーズンも60勝22敗という好成績で乗り切り、第2シードを手にしてプレーオフへと駒を進めた。カンファレンス決勝の相手は、前年のプレーオフで蹴散らしたブルズ。だがこの年のブルズは、ひと味もふた味も違っていた。72勝をマークし(当時のNBA新記録)、ジョーダンはシーズンMVPを受賞。リベンジに燃えるブルズに付け入る隙はなく、呆気なくスウィープで敗れ去る。マジックにとって3年連続でのスウィープ負けだった。
失意のシーズンを終えたマジックに待っていたのが、シャックのFA問題。オフにFAとなるシャックは、リーグ最高額の契約にこだわるも、マジックには支払う余裕がなかった。また、オーランドの地元紙が、「シャックには彼が望む7年1億1500万ドルの価値があるか?」とのアンケートを実施したところ、91%の人が「NO」を突きつけた。それを見てショックを受けたと、後にシャックは語っている。
さらに、この頃にはシャックとペニーの関係はすっかり冷えきっていた。その最大の理由は、ペニーの絶大なる人気と、日増しに大きくなる「マジックはペニーのチーム」という声に対する、シャックの嫉妬だった。加えて、ナイキが開始したキャンペーン“リル・ペニー”が、エア・ジョーダンをも超える大ヒットを飛ばしていたことも、リーボックで燻っていたシャックには面白くなかった。
だが何と言っても、初戦でのアンダーソンの4連続フリースローミス、それがすべてだった。あれさえなかったら、その後の勝負はどちらに転んでもおかしくなかっただろう。このファイナル以降、アンダーソンが本来の姿を取り戻すことはなかった。
優勝こそ達成できなかったものの、マジックはまだまだ若いチーム。チャンスはこの先いくらでもあるはず、そう誰もが思っていた。
翌1995-96シーズンも60勝22敗という好成績で乗り切り、第2シードを手にしてプレーオフへと駒を進めた。カンファレンス決勝の相手は、前年のプレーオフで蹴散らしたブルズ。だがこの年のブルズは、ひと味もふた味も違っていた。72勝をマークし(当時のNBA新記録)、ジョーダンはシーズンMVPを受賞。リベンジに燃えるブルズに付け入る隙はなく、呆気なくスウィープで敗れ去る。マジックにとって3年連続でのスウィープ負けだった。
失意のシーズンを終えたマジックに待っていたのが、シャックのFA問題。オフにFAとなるシャックは、リーグ最高額の契約にこだわるも、マジックには支払う余裕がなかった。また、オーランドの地元紙が、「シャックには彼が望む7年1億1500万ドルの価値があるか?」とのアンケートを実施したところ、91%の人が「NO」を突きつけた。それを見てショックを受けたと、後にシャックは語っている。
さらに、この頃にはシャックとペニーの関係はすっかり冷えきっていた。その最大の理由は、ペニーの絶大なる人気と、日増しに大きくなる「マジックはペニーのチーム」という声に対する、シャックの嫉妬だった。加えて、ナイキが開始したキャンペーン“リル・ペニー”が、エア・ジョーダンをも超える大ヒットを飛ばしていたことも、リーボックで燻っていたシャックには面白くなかった。