グリズリーズで5年間過ごしたウエストの契約が、2007年の夏に満了を迎えようとしていた。その件に関して、コビーはNBAライターのリック・ビューカーにこう語っている。
「ジェリー・ウエストをレイカーズに連れ戻し、彼に全権を与えてほしい。そうすることをフロントが望まないなら、俺をトレードしてもらいたい」。
新聞やラジオでトレード志願を躊躇なく口にするコビーに対し、いよいよ打つ手がなくなったレイカーズは、否が応でも動かざるを得ない状況に追い込まれていた。それまではあり得ない選択肢だったフランチャイズプレーヤーのトレードが、とうとう現実味を帯びてきたのである。 コビーはレイカーズとの間に2年の契約を残しており、加えてトレード拒否権を有していた。幼少時より憧れのチームだったレイカーズから、できることなら離れたくはなかったが、それ以上に優勝争いのできるチームでプレーをする必要があった。2006年に移籍先のヒートで、一足先に4個目のチャンピオンリングを手に入れたシャックに、なんとしてでも追い付き、追い越さなければならなかった。
トレード拒否権を行使しない移籍先のリストを、コビーはフロント陣に提出した。ブルズ、スパーズ、サンズ。その3チームに限ってのみ、コビーはトレードを受け入れるという。移籍先の選定作業を進めていたレイカーズは、紆余曲折の末、ブルズとの間にトレードをまとめ上げる。合意寸前まで話は進んだが、ブルズ側のトレード要員にルオル・デンが含まれていたことをコビーは良しとせず、その話は流れてしまう。
そして――。引き続きコビーの移籍先を模索していたレイカーズのミッチ・カプチャックGMが、奇想天外な行動に打って出る。ウィンドホーストが複数のソースから入手した情報によると、カプチャックが電話をかけた先は、どこあろうキャブズだった。コビーとレブロンのトレードは可能だろうか、と。この時の様子を、キャブズのフロントオフィスで働いていた人物は今でも覚えているという。なぜなら、レブロンとのトレードを打診してくるなどという大それた電話は、後にも先にもこの時1回きりだったからだ。
「ジェリー・ウエストをレイカーズに連れ戻し、彼に全権を与えてほしい。そうすることをフロントが望まないなら、俺をトレードしてもらいたい」。
新聞やラジオでトレード志願を躊躇なく口にするコビーに対し、いよいよ打つ手がなくなったレイカーズは、否が応でも動かざるを得ない状況に追い込まれていた。それまではあり得ない選択肢だったフランチャイズプレーヤーのトレードが、とうとう現実味を帯びてきたのである。 コビーはレイカーズとの間に2年の契約を残しており、加えてトレード拒否権を有していた。幼少時より憧れのチームだったレイカーズから、できることなら離れたくはなかったが、それ以上に優勝争いのできるチームでプレーをする必要があった。2006年に移籍先のヒートで、一足先に4個目のチャンピオンリングを手に入れたシャックに、なんとしてでも追い付き、追い越さなければならなかった。
トレード拒否権を行使しない移籍先のリストを、コビーはフロント陣に提出した。ブルズ、スパーズ、サンズ。その3チームに限ってのみ、コビーはトレードを受け入れるという。移籍先の選定作業を進めていたレイカーズは、紆余曲折の末、ブルズとの間にトレードをまとめ上げる。合意寸前まで話は進んだが、ブルズ側のトレード要員にルオル・デンが含まれていたことをコビーは良しとせず、その話は流れてしまう。
そして――。引き続きコビーの移籍先を模索していたレイカーズのミッチ・カプチャックGMが、奇想天外な行動に打って出る。ウィンドホーストが複数のソースから入手した情報によると、カプチャックが電話をかけた先は、どこあろうキャブズだった。コビーとレブロンのトレードは可能だろうか、と。この時の様子を、キャブズのフロントオフィスで働いていた人物は今でも覚えているという。なぜなら、レブロンとのトレードを打診してくるなどという大それた電話は、後にも先にもこの時1回きりだったからだ。