レブロンは究極の“アンタッチャブル”である、それがキャブズ側の答えだった。そして、ここをチャンスと踏んだキャブズ首脳陣は、返す刀でカプチャックに逆オファーを仕掛ける。レブロン以外のお好みの選手をパッケージにして、コビーとのトレードを提案。カプチャックの返事は「興味がない」だった。
この一連の出来事について、ウィンドホーストから真相を問いただされたカプチャックは、コメントを拒否している。一方、レブロンはESPNのレポーター、デイブ・マクメナミンの質問に対し、「(そういった話が実際にあったと)俺は信じているよ」と言及。他方、当のコビーはホームズの問いかけに対し、次のように答えている。
「(もしあったとしても、)俺はそいつを決して承認しなかっただろう。絶対にだ。トレードでクリーブランドに行くだって? あり得ない。(キャブズは)俺のリストに載っていなかった。シカゴ、サンアントニオ、もしくはフェニックス、それだけだ」。
その後もカプチャックはコビーのトレードを模索し続け、最終的にピストンズのジョー・デュマースGMとの間でトレード案がまとまる。ピストンズからテイショーン・プリンスとリチャード・ハミルトン、それに数人を加えての大型トレードだった。オーナーのジェリー・バスが直々にそのディールをコビーに提示したところ、ピストンズもリストに載っていないチームであるとの理由から、コビーは首を縦に振らなかった。 結局オフの間に新たなトレード案はまとまらず、コビーは翌シーズンもレイカーズの一員として開幕を迎えることになる。メディアにチームの不満や愚痴をこぼし、トレード志願まで言い放ったコビーに対して、ロサンゼルスのファンは強烈なしっぺ返しを食らわした。ステイプルズ・センターで行なわれた2007-08シーズン開幕戦の選手紹介時に、コビーはかつてないほど凄まじいブーイングを浴びたのだった。
ここから先は皆さんご存知の通り。開幕から3か月後、レイカーズはグリズリーズのオールスター、パウ・ガソルの獲得に成功する。待ち焦がれていた頼れるサポーティングキャストの加入に気を良くしたコビーはさらに奮起。自身初にして唯一となるレギュラーシーズンMVPを獲得し、チームをファイナルの舞台へと導く。当然、コビーのトレード話もチームの勝利とともにフェイドアウトしていった。
その年はファイナルで敗北を喫するも、翌年、翌々年と見事連覇を達成し、コビーはついに悲願のシャック超えを果たす。5度目の優勝を決めた試合後の共同記者会見では、記者からの「君個人にとって、2連覇が持つ意味は?」という質問に対し、「シャックより(リングを)1個多く手に入れたよ」と即答し、会場の爆笑を誘った。
NBAが誇る2大スーパースターの交換という、世紀のブロックバスタートレードは泡と消え、歴史の彼方に葬り去られた。もし成立していたら、コビーはキャブズで4個目、5個目のリングを獲得できていただろうか。11年早くパープル&ゴールドのユニフォームを身に着けた若きレブロンは、名門レイカーズに新たな王朝をもたらしていただろうか。そして、もしコビーとレブロンがキャブズでチームメイトになっていたら、どれだけエキサイティングなプレーを披露していただろう。
ウィンドホースト記者が発掘したこのエピソードは、今でも人々に壮大な“IF”を振りまき続けている。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2018年1月号より転載。
この一連の出来事について、ウィンドホーストから真相を問いただされたカプチャックは、コメントを拒否している。一方、レブロンはESPNのレポーター、デイブ・マクメナミンの質問に対し、「(そういった話が実際にあったと)俺は信じているよ」と言及。他方、当のコビーはホームズの問いかけに対し、次のように答えている。
「(もしあったとしても、)俺はそいつを決して承認しなかっただろう。絶対にだ。トレードでクリーブランドに行くだって? あり得ない。(キャブズは)俺のリストに載っていなかった。シカゴ、サンアントニオ、もしくはフェニックス、それだけだ」。
その後もカプチャックはコビーのトレードを模索し続け、最終的にピストンズのジョー・デュマースGMとの間でトレード案がまとまる。ピストンズからテイショーン・プリンスとリチャード・ハミルトン、それに数人を加えての大型トレードだった。オーナーのジェリー・バスが直々にそのディールをコビーに提示したところ、ピストンズもリストに載っていないチームであるとの理由から、コビーは首を縦に振らなかった。 結局オフの間に新たなトレード案はまとまらず、コビーは翌シーズンもレイカーズの一員として開幕を迎えることになる。メディアにチームの不満や愚痴をこぼし、トレード志願まで言い放ったコビーに対して、ロサンゼルスのファンは強烈なしっぺ返しを食らわした。ステイプルズ・センターで行なわれた2007-08シーズン開幕戦の選手紹介時に、コビーはかつてないほど凄まじいブーイングを浴びたのだった。
ここから先は皆さんご存知の通り。開幕から3か月後、レイカーズはグリズリーズのオールスター、パウ・ガソルの獲得に成功する。待ち焦がれていた頼れるサポーティングキャストの加入に気を良くしたコビーはさらに奮起。自身初にして唯一となるレギュラーシーズンMVPを獲得し、チームをファイナルの舞台へと導く。当然、コビーのトレード話もチームの勝利とともにフェイドアウトしていった。
その年はファイナルで敗北を喫するも、翌年、翌々年と見事連覇を達成し、コビーはついに悲願のシャック超えを果たす。5度目の優勝を決めた試合後の共同記者会見では、記者からの「君個人にとって、2連覇が持つ意味は?」という質問に対し、「シャックより(リングを)1個多く手に入れたよ」と即答し、会場の爆笑を誘った。
NBAが誇る2大スーパースターの交換という、世紀のブロックバスタートレードは泡と消え、歴史の彼方に葬り去られた。もし成立していたら、コビーはキャブズで4個目、5個目のリングを獲得できていただろうか。11年早くパープル&ゴールドのユニフォームを身に着けた若きレブロンは、名門レイカーズに新たな王朝をもたらしていただろうか。そして、もしコビーとレブロンがキャブズでチームメイトになっていたら、どれだけエキサイティングなプレーを披露していただろう。
ウィンドホースト記者が発掘したこのエピソードは、今でも人々に壮大な“IF”を振りまき続けている。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2018年1月号より転載。