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NBA

【NBAデュオ列伝】決別の理由はマーブリーのKGへの嫉妬。互いに別の道を歩むも、キャリア終盤に運命の邂逅が|後編

出野哲也

2020.10.17

04年、マーブリーは生まれ故郷のニックスへ。KGはウルブズで孤軍奮闘の日々が続いた。(C)Getty Images

04年、マーブリーは生まれ故郷のニックスへ。KGはウルブズで孤軍奮闘の日々が続いた。(C)Getty Images

 マーブリーにとっても、04年は嬉しい出来事があった。シーズン途中、憧れのニックスへとトレードされたのだ。シーズン終了後にはアテネ五輪に参加し、チーム自体は銅メダルに終わったが、準々決勝のスペイン戦でアメリカ代表史上最多(当時)の31点を叩き出すなど、随所にマーブリーらしさを覗かせた。

 長年の夢を叶えたマーブリーは希望を抱いて04-05シーズンに臨んだが、ニックスは前年よりは成績を落としてしまう。それだけでなく、マーブリーに代わるポイントガードとしてスティーブ・ナッシュが加わったサンズが快進撃を続け、ネッツ退団時と同じく、“マーブリーの出て行ったチームは強くなる”という定説が出来上がってしまった。

 KGにとっても05年は最悪の年になった。キャセールとスプリーウェルの契約問題が引き金となってケミストリーが崩壊し、優勝どころかプレーオフにさえ進めなかったのだ。続く05-06シーズンも、ウルブズは補強に失敗して2年連続でプレーオフを逃す。苛立つKGがトレードを直訴したとの噂も流れた。マーブリーも新ヘッドコーチのブラウンと反りが合わず、ルーキーシーズン以来最低の個人成績に終わった。
 
 チームメイトやチームに足を引っ張られ、もがき苦しむKG。余りある才能を生かせず、輝きを失いつつあるマーブリー。2人のバスケットボール人生が分岐点に差し掛かっているのは、誰の目にも明らかだった。

「ステフが出て行かなかったら、ここには何本かチャンピオン・バナーが掲げられていたはずなんだ。それを疑ったことは一度もないよ」。ウルブズのホームコート、ターゲット・センターでKGは呟いた。「俺とステフの間には、何も問題はない。少なくともコートの上ではね。俺たちには特別なつながりがあるんだよ」。

 その「つながり」が復活するのはそれから2年後だった。07-08シーズン、トレードを希望してKGはボストン・セルティックスへ移籍。ポール・ピアース、そしてドラフト直後にマーブリーとトレードの交換相手だったアレンと“ビッグ3”を形成し、ついに初めてのチャンピオンリングを手にした。
 
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