その後は両国ともフリースローを連続で落とすなど緊迫した状況が続くなか、カーターの逆転弾やアントニオ・マックダイス(当時デンバー・ナゲッツ)のシュートで85-83と再びリードを奪う。最後の攻撃となったリトアニアは、この日5本の3ポイントを含む27得点のサルナス・ヤシケビシャス(元インディアナ・ペイサーズほか)にボールを託すも、ラストショットはリングまで届かなかった。
勝利こそ手にできなかったとはいえ、王者をあと一歩まで追い詰めたリトアニアは、IOCの公式サイトでも“最も英雄的な敗者”と紹介された。しかも彼らは大黒柱のアルビダス・サボニス(当時ポートランド・トレイルブレイザーズ)をはじめ、ジードルナス・イルガスカス(当時クリーブランド・キャバリアーズ)、アルトラス・カルニショバスと3人の主力をケガで欠いていた状態。もし彼らが揃ってメンバー入りしていたら、本当にアメリカを破っていたかもしれない。
■ドリームチームとは呼べない戦いぶり。変わりつつある世界の勢力図
準決勝敗退の屈辱を辛うじて免れたアメリカだったが、フランスとの決勝でも苦戦は続く。NBA級の実力者が何人もいたリトアニアとは異なり、フランス代表にはNBA選手が1人もおらず、のちにリーグ入りするのもアントワン・リゴードー(元ダラス・マーベリックス)だけ。予選ラウンドでも2勝3敗、Aグループ4位とギリギリで勝ち抜けており、明らかに格下と言えるチームだった。
にもかかわらず、準決勝と同じようにアメリカは前半奪ったリードを後半に少しずつ減らし、残り4分半で4点差まで迫られる。何とか最後は10点差をつけて振り切ったものの、過去2大会のような絶対的王者の風格はなかった。アメリカ代表を“ドリームチーム”と呼ぶ習慣もこの時期あたりからなくなっていったが、もはや観る者が夢を抱くような戦いができなくなったのだから仕方がない。
一方のフランスは52年ぶりの銀メダル獲得という大成果に沸き、その後ヨーロッパを代表する強豪国へ成り上がる契機となった。また3位決定戦は、1996年のアトランタ五輪に続いてリトアニアとオーストラリアの顔合わせに。そして前回大会と同じように、リトアニアが銅メダルに輝いた。
勝利こそ手にできなかったとはいえ、王者をあと一歩まで追い詰めたリトアニアは、IOCの公式サイトでも“最も英雄的な敗者”と紹介された。しかも彼らは大黒柱のアルビダス・サボニス(当時ポートランド・トレイルブレイザーズ)をはじめ、ジードルナス・イルガスカス(当時クリーブランド・キャバリアーズ)、アルトラス・カルニショバスと3人の主力をケガで欠いていた状態。もし彼らが揃ってメンバー入りしていたら、本当にアメリカを破っていたかもしれない。
■ドリームチームとは呼べない戦いぶり。変わりつつある世界の勢力図
準決勝敗退の屈辱を辛うじて免れたアメリカだったが、フランスとの決勝でも苦戦は続く。NBA級の実力者が何人もいたリトアニアとは異なり、フランス代表にはNBA選手が1人もおらず、のちにリーグ入りするのもアントワン・リゴードー(元ダラス・マーベリックス)だけ。予選ラウンドでも2勝3敗、Aグループ4位とギリギリで勝ち抜けており、明らかに格下と言えるチームだった。
にもかかわらず、準決勝と同じようにアメリカは前半奪ったリードを後半に少しずつ減らし、残り4分半で4点差まで迫られる。何とか最後は10点差をつけて振り切ったものの、過去2大会のような絶対的王者の風格はなかった。アメリカ代表を“ドリームチーム”と呼ぶ習慣もこの時期あたりからなくなっていったが、もはや観る者が夢を抱くような戦いができなくなったのだから仕方がない。
一方のフランスは52年ぶりの銀メダル獲得という大成果に沸き、その後ヨーロッパを代表する強豪国へ成り上がる契機となった。また3位決定戦は、1996年のアトランタ五輪に続いてリトアニアとオーストラリアの顔合わせに。そして前回大会と同じように、リトアニアが銅メダルに輝いた。