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NBA

必勝を課されたロス五輪でジョーダン、ユーイングらが躍動。金メダル奪回も、競技とは無縁の部分で以降の大会に弊害が…

出野哲也

2020.09.11

ジョーダン(中央)、ユーイング(左)ら未来のNBAスターが集結し、必勝を課されたロサンゼルス五輪で金メダルを獲得。ただ、以降の大会は商業色が濃くなっていく。(C)Getty Images

ジョーダン(中央)、ユーイング(左)ら未来のNBAスターが集結し、必勝を課されたロサンゼルス五輪で金メダルを獲得。ただ、以降の大会は商業色が濃くなっていく。(C)Getty Images

 アメリカで生まれたバスケットボールが、発祥の地で五輪競技として初めて行なわれたのが1984年のロサンゼルス大会だ。この絶対に負けられない状況下で、マイケル・ジョーダンやパトリック・ユーイングといった、未来のNBAを担う大学生スターが躍動。結果として圧倒的強さで金メダルを勝ち取ったものの、この大会以降、オリンピックは商業色が濃くなっていった。

■発祥の地でバスケットが初開催。金メダル奪回が義務づけられる

 1984年の夏季オリンピックで、アメリカのバスケットボールチームは決して負けるわけにはいかなかった。

 開催地は52年ぶりの本国となるロサンゼルス。バスケットが公式種目化されたのは1936年のベルリン大会からなので、アメリカ生まれのスポーツであるこの競技が、発祥の地で五輪開催されるのは初めての機会だった。
 
 また、アフガニスタン侵攻への抗議のために1980年のモスクワ大会をボイコットしていたので、この五輪はアメリカにとって8年ぶりの舞台でもあった。さらにその報復として、今回はソビエト連邦(ソ連)が米軍のグレナダ侵攻を理由に大会に参加せず。最大の宿敵が不在であったのも、負けられない理由だった。

 インディアナ大の猛将ボブ・ナイトの下、最高のメンバーを選ぶべく4月のトライアウトでは全米中の大学から70名の精鋭が集結。当選確実と見られていたのは、この年のコンセンサス・オールアメリカ1stチームに選出されていた4人だった。
                    
 同年のNCAAトーナメントで優勝したばかりのジョージタウン大の最強センター、パトリック・ユーイング。同大会の2年前の覇者ノースカロライナ大に所属し、2か月後のNBAドラフトでも上位指名が有力視されていたマイケル・ジョーダンとサム・パーキンス。もう1人がオクラホマ大のウェイマン・ティスデール。1stチームの残る1人はヒューストン大のセンターで、ドラフト1位指名候補のアキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)だったが、当時はナイジェリア国籍のため参加資格がなかった。
 
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