アメリカで生まれたバスケットボールが、発祥の地で五輪競技として初めて行なわれたのが1984年のロサンゼルス大会だ。この絶対に負けられない状況下で、マイケル・ジョーダンやパトリック・ユーイングといった、未来のNBAを担う大学生スターが躍動。結果として圧倒的強さで金メダルを勝ち取ったものの、この大会以降、オリンピックは商業色が濃くなっていった。
■発祥の地でバスケットが初開催。金メダル奪回が義務づけられる
1984年の夏季オリンピックで、アメリカのバスケットボールチームは決して負けるわけにはいかなかった。
開催地は52年ぶりの本国となるロサンゼルス。バスケットが公式種目化されたのは1936年のベルリン大会からなので、アメリカ生まれのスポーツであるこの競技が、発祥の地で五輪開催されるのは初めての機会だった。
また、アフガニスタン侵攻への抗議のために1980年のモスクワ大会をボイコットしていたので、この五輪はアメリカにとって8年ぶりの舞台でもあった。さらにその報復として、今回はソビエト連邦(ソ連)が米軍のグレナダ侵攻を理由に大会に参加せず。最大の宿敵が不在であったのも、負けられない理由だった。
インディアナ大の猛将ボブ・ナイトの下、最高のメンバーを選ぶべく4月のトライアウトでは全米中の大学から70名の精鋭が集結。当選確実と見られていたのは、この年のコンセンサス・オールアメリカ1stチームに選出されていた4人だった。
同年のNCAAトーナメントで優勝したばかりのジョージタウン大の最強センター、パトリック・ユーイング。同大会の2年前の覇者ノースカロライナ大に所属し、2か月後のNBAドラフトでも上位指名が有力視されていたマイケル・ジョーダンとサム・パーキンス。もう1人がオクラホマ大のウェイマン・ティスデール。1stチームの残る1人はヒューストン大のセンターで、ドラフト1位指名候補のアキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)だったが、当時はナイジェリア国籍のため参加資格がなかった。
■発祥の地でバスケットが初開催。金メダル奪回が義務づけられる
1984年の夏季オリンピックで、アメリカのバスケットボールチームは決して負けるわけにはいかなかった。
開催地は52年ぶりの本国となるロサンゼルス。バスケットが公式種目化されたのは1936年のベルリン大会からなので、アメリカ生まれのスポーツであるこの競技が、発祥の地で五輪開催されるのは初めての機会だった。
また、アフガニスタン侵攻への抗議のために1980年のモスクワ大会をボイコットしていたので、この五輪はアメリカにとって8年ぶりの舞台でもあった。さらにその報復として、今回はソビエト連邦(ソ連)が米軍のグレナダ侵攻を理由に大会に参加せず。最大の宿敵が不在であったのも、負けられない理由だった。
インディアナ大の猛将ボブ・ナイトの下、最高のメンバーを選ぶべく4月のトライアウトでは全米中の大学から70名の精鋭が集結。当選確実と見られていたのは、この年のコンセンサス・オールアメリカ1stチームに選出されていた4人だった。
同年のNCAAトーナメントで優勝したばかりのジョージタウン大の最強センター、パトリック・ユーイング。同大会の2年前の覇者ノースカロライナ大に所属し、2か月後のNBAドラフトでも上位指名が有力視されていたマイケル・ジョーダンとサム・パーキンス。もう1人がオクラホマ大のウェイマン・ティスデール。1stチームの残る1人はヒューストン大のセンターで、ドラフト1位指名候補のアキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)だったが、当時はナイジェリア国籍のため参加資格がなかった。