ルーキーイヤーのコビーは、レギュラーシーズンこそ出場時間が限られていたものの、オールスターのスラムダンク・コンテストで史上最年少優勝をドヤ顔で飾り、一躍世界にその名を知らしめた。コンテストの解説を務めていた元NBA選手のレジー・セウスは、コビーを〝cocky(自信過剰な、生意気な、自惚れた)〞と繰り返し表現。決してネガティブな意味で言っていたわけではなかったが、この頃からすでに、軽く鼻につく感じの生意気臭を漂わせていたように思う。
そしてプレーオフのカンファレンス準決勝でやらかした、伝説の〝5分間に4本のエアボール〞。あの時、ルーキーの独りよがりなプレーに唖然とすると同時に、末恐ろしさを感じたことも確かだ。このメンタルの強さと負けず嫌いっぷりは尋常じゃない、こいつはもしかしたらもしかするぞ、と。そしてその予感は現実となった。
レイカーズは1999-00シーズンから、シャキール・オニールとコビーの強力デュオを中心に、3連覇という偉業をやってのける。リーグ屈指のSGへと成長したコビーは、常に自信に満ち溢れ、憎たらしいまでの勝負強さを誇る一方で、セルフィッシュなプレーも時折見受けられ、時には行き過ぎた言動も目に付いた。それゆえアンチも一定数存在し、マイケル・ジョーダンの若い頃のような、万人が憧れる国民的スターとは一線を画していた。
2000年4月、ステイプルズ・センターで行なわれたニックス対レイカーズ戦。クリス・チャイルズとコビーが一悶着を起こし、チャイルズがコビーの顎にきれいなワンツーをお見舞いした時などは、その愚挙に呆れながらも、随分と溜飲が下がったものだ。
そして世紀の大騒動となったのが、2003年に全米を揺るがしたレイプスキャンダルだった。あの後しばらくの間は、すべてのアリーナで強烈なブーイングを食らい、メディアに追いかけ回され、叩かれ、スポンサーは逃げていった。裁判所へ出頭するために試合を休まなければならない日もあり、また裁判所から直接アリーナに向かう日もあった。精神的に最も辛い時期だったろう。アンチから見ても不憫に思えるほどだった。
シャックやフィル・ジャクソンHCとの確執と別れ。トレード志願。指の骨折や慢性的なヒザの痛みをはじめとする、全身を襲うケガ。それらの代償を支払いながらも、2009、10年と、チームリーダーとして悲願の2連覇を達成する。満身創痍の身体に鞭打って、さらには異常とも思えるほどハードな練習を己に課し、困難を乗り越え、結果を出すことで、コビーはブーイングをより大きな歓声に変えていった。
アンチコビーを自認する僕でも、彼の持つ異常なまでの精神的強さには、唸らざるを得なかった。そして、心待ちにしていたニックス戦で披露される、コビーのゴージャスで勝負強いプレーの数々には、歯軋りするほど悔しいながらも、見とれる以外なかった。
そしてプレーオフのカンファレンス準決勝でやらかした、伝説の〝5分間に4本のエアボール〞。あの時、ルーキーの独りよがりなプレーに唖然とすると同時に、末恐ろしさを感じたことも確かだ。このメンタルの強さと負けず嫌いっぷりは尋常じゃない、こいつはもしかしたらもしかするぞ、と。そしてその予感は現実となった。
レイカーズは1999-00シーズンから、シャキール・オニールとコビーの強力デュオを中心に、3連覇という偉業をやってのける。リーグ屈指のSGへと成長したコビーは、常に自信に満ち溢れ、憎たらしいまでの勝負強さを誇る一方で、セルフィッシュなプレーも時折見受けられ、時には行き過ぎた言動も目に付いた。それゆえアンチも一定数存在し、マイケル・ジョーダンの若い頃のような、万人が憧れる国民的スターとは一線を画していた。
2000年4月、ステイプルズ・センターで行なわれたニックス対レイカーズ戦。クリス・チャイルズとコビーが一悶着を起こし、チャイルズがコビーの顎にきれいなワンツーをお見舞いした時などは、その愚挙に呆れながらも、随分と溜飲が下がったものだ。
そして世紀の大騒動となったのが、2003年に全米を揺るがしたレイプスキャンダルだった。あの後しばらくの間は、すべてのアリーナで強烈なブーイングを食らい、メディアに追いかけ回され、叩かれ、スポンサーは逃げていった。裁判所へ出頭するために試合を休まなければならない日もあり、また裁判所から直接アリーナに向かう日もあった。精神的に最も辛い時期だったろう。アンチから見ても不憫に思えるほどだった。
シャックやフィル・ジャクソンHCとの確執と別れ。トレード志願。指の骨折や慢性的なヒザの痛みをはじめとする、全身を襲うケガ。それらの代償を支払いながらも、2009、10年と、チームリーダーとして悲願の2連覇を達成する。満身創痍の身体に鞭打って、さらには異常とも思えるほどハードな練習を己に課し、困難を乗り越え、結果を出すことで、コビーはブーイングをより大きな歓声に変えていった。
アンチコビーを自認する僕でも、彼の持つ異常なまでの精神的強さには、唸らざるを得なかった。そして、心待ちにしていたニックス戦で披露される、コビーのゴージャスで勝負強いプレーの数々には、歯軋りするほど悔しいながらも、見とれる以外なかった。
関連記事
- 戦友コビーの死から1年。シャックが語った後悔の念「もっとコミュニケーションを取るべきだった」〈DUNKSHOOT〉
- ジョーダンから主役を奪ったコビー。神様を本気にさせた19歳の球宴デビュー戦【コビー・ブライアント名勝負:Part.5】〈DUNKSHOOT〉
- シャック退場の窮地を救った21歳の新鋭。コビーが真のスターになった日【コビー・ブライアント名勝負:Part.4】〈DUNKSHOOT〉
- すべてのミスを劇的弾で相殺。最後は常に勝者として記憶された“コビーという男”を象徴する一戦【コビー・ブライアント名勝負:Part.3】
- 故郷で“コビー・ショー”が開演!32得点の爆発でチームを勝利に導く【コビー・ブライアント名勝負:Part.2】