【パワーフォワード】
PJ・ブラウン
1969年10月14日生。211cm・108kg
在籍期間:6シーズン(2000~06)
成績:475試合、平均9.6点、8.8リバウンド、1.7アシスト
ドラフトは2巡目指名、プロ人生のスタートはギリシャで切った苦労人。キャリア初期の90年代はニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ、マイアミ・ヒートで縁の下の力持ち的な役割を果たし、最も長く所属したのが2000-01シーズンから加入したホーネッツだった。
在籍中は得点とリバウンドで毎年平均ダブルダブル級の数字をマーク。古典的なPF/センターで3ポイント成功はキャリア通算8本だけだったが、ショート~ミドルレンジからは確実に決め、フリースロー成功率もホーネッツ時代は84.9%の高率だった。守備ではヒート時代の97、99年、そしてホーネッツ1年目の01年の3回、オールディフェンシブチームに選出されている。
スクリーンやボックスアウトなどの基本的な作業を着実にこなすチームプレーヤーとして、コーチにとっては非常に頼れる存在だった反面、派手なシーンとは無縁だったが、ヒート在籍時の97年のプレーオフではチャーリー・ウォード(ニューヨーク・ニックス)を投げ飛ばし全国的な注目を浴びた。
【センター】
アンソニー・デイビス
1993年3月11日生。208cm・115kg
在籍期間:7シーズン(2012~19)
成績:466試合、平均23.7点、10.5リバウンド、2.1アシスト
デイビスも本来のポジションはPFで、センターでのプレーは好んでいなかった。それでもペリカンズの歴代ベスト5で5番を任せられるのはこの男しかいない。2012年にドラフト全体1位で入団すると、プロデビュー前にロンドン五輪で金メダルを獲得。ビッグマン離れした身体能力で攻守に活躍し、2年目から6年連続で平均20点&10リバウンド、オールスターにも毎年選ばれている。16年2月には21世紀で2人目となる1試合50点&20リバウンドを達成。守備でも14、15、18年の3回ブロック王に輝いた。
あまりケガに強くないのが難点で、長期間の離脱こそなかったものの、70試合以上出たのは在籍7年間で17、18年の2度だけだった。15年に5年間の延長契約を結んだ際には「このチームにずっといるつもり。そうじゃなきゃ契約延長なんてしない」と語っていたが、のちに前言を翻して移籍を希望。19年にロサンゼルス・レイカーズへのトレードを半強制的に実現させ、念願のチャンピオンリングを手にした。
文●出野哲也
PJ・ブラウン
1969年10月14日生。211cm・108kg
在籍期間:6シーズン(2000~06)
成績:475試合、平均9.6点、8.8リバウンド、1.7アシスト
ドラフトは2巡目指名、プロ人生のスタートはギリシャで切った苦労人。キャリア初期の90年代はニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ、マイアミ・ヒートで縁の下の力持ち的な役割を果たし、最も長く所属したのが2000-01シーズンから加入したホーネッツだった。
在籍中は得点とリバウンドで毎年平均ダブルダブル級の数字をマーク。古典的なPF/センターで3ポイント成功はキャリア通算8本だけだったが、ショート~ミドルレンジからは確実に決め、フリースロー成功率もホーネッツ時代は84.9%の高率だった。守備ではヒート時代の97、99年、そしてホーネッツ1年目の01年の3回、オールディフェンシブチームに選出されている。
スクリーンやボックスアウトなどの基本的な作業を着実にこなすチームプレーヤーとして、コーチにとっては非常に頼れる存在だった反面、派手なシーンとは無縁だったが、ヒート在籍時の97年のプレーオフではチャーリー・ウォード(ニューヨーク・ニックス)を投げ飛ばし全国的な注目を浴びた。
【センター】
アンソニー・デイビス
1993年3月11日生。208cm・115kg
在籍期間:7シーズン(2012~19)
成績:466試合、平均23.7点、10.5リバウンド、2.1アシスト
デイビスも本来のポジションはPFで、センターでのプレーは好んでいなかった。それでもペリカンズの歴代ベスト5で5番を任せられるのはこの男しかいない。2012年にドラフト全体1位で入団すると、プロデビュー前にロンドン五輪で金メダルを獲得。ビッグマン離れした身体能力で攻守に活躍し、2年目から6年連続で平均20点&10リバウンド、オールスターにも毎年選ばれている。16年2月には21世紀で2人目となる1試合50点&20リバウンドを達成。守備でも14、15、18年の3回ブロック王に輝いた。
あまりケガに強くないのが難点で、長期間の離脱こそなかったものの、70試合以上出たのは在籍7年間で17、18年の2度だけだった。15年に5年間の延長契約を結んだ際には「このチームにずっといるつもり。そうじゃなきゃ契約延長なんてしない」と語っていたが、のちに前言を翻して移籍を希望。19年にロサンゼルス・レイカーズへのトレードを半強制的に実現させ、念願のチャンピオンリングを手にした。
文●出野哲也