【パワーフォワード】
アル・ホーフォード
1986年6月3日生。206センチ・109キロ
カレッジ成績:109試合、平均10.3点、7.9リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:881試合、平均13.9点、8.2リバウンド、3.3アシスト
父のティトはドミニカ共和国出身で初のNBA選手。大学ではジョアキム・ノア、コーリー・ブリューワーと同学年で、06、07年にNCAAトーナメント2連覇を達成し、07年のドラフト3位でアトランタ・ホークスに入団した。突出した個人成績を残すわけではなく、平均得点は最高でも13-14シーズンの18.6点、2桁リバウンドも12-13シーズン(10.2本)のみ。
それでもバスケットボールIQが高く、攻守にわたり様々なスキルを持つビッグマンとして、ホークス時代に4回、ボストン・セルティックス移籍後も1回オールスターに出場した。「完璧なプロフェッショナル」と評されることもあるほど意識が高く、11年にオールNBA3rdチーム、18年にオール・ディフェンス2ndチームに選出。ホークス時代はほとんど打たなかった3ポイントも、ボストンに移って以降はコンスタントに決めている。
【センター】
ジョアキム・ノア
1985年2月25日生。211センチ・105キロ
カレッジ成績:108試合、平均10.5点、6.4リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:672試合、平均8.8点、9.0リバウンド、2.8アシスト
祖父はカメルーンのサッカー選手、父のヤニックは有名なプロテニス選手、母はミス・スウェーデンという華麗な家系の出身で、自らもパリで育つ。経歴だけでなくエキゾティックな風貌や、情熱剥き出しのプレースタイルでも観衆を魅了した。
フロリダ大では06、07年にNCAAトーナメント2連覇、06年はトーナメントMVPに輝く。07年のドラフト9位でシカゴ・ブルズに加わり、3年目の09-10シーズン以降、5年間で4回平均リバウンドは2桁以上。13年2月28日には、史上6人目の20点、20リバウンド、10ブロックを記録した。
パスセンスに秀でており、2年連続のオールスターに出場した13-14シーズンに自己最多の平均5.4アシスト。同年は最優秀守備選手賞にも選ばれたが、シュート力の欠如(3ポイントは通算16本打って1本も決められなかった)が現代のバスケットボールスタイルに合わなくなり、また自身のケガもあって、急速に存在感を失っていった。今年3月に引退を表明。
アル・ホーフォード
1986年6月3日生。206センチ・109キロ
カレッジ成績:109試合、平均10.3点、7.9リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:881試合、平均13.9点、8.2リバウンド、3.3アシスト
父のティトはドミニカ共和国出身で初のNBA選手。大学ではジョアキム・ノア、コーリー・ブリューワーと同学年で、06、07年にNCAAトーナメント2連覇を達成し、07年のドラフト3位でアトランタ・ホークスに入団した。突出した個人成績を残すわけではなく、平均得点は最高でも13-14シーズンの18.6点、2桁リバウンドも12-13シーズン(10.2本)のみ。
それでもバスケットボールIQが高く、攻守にわたり様々なスキルを持つビッグマンとして、ホークス時代に4回、ボストン・セルティックス移籍後も1回オールスターに出場した。「完璧なプロフェッショナル」と評されることもあるほど意識が高く、11年にオールNBA3rdチーム、18年にオール・ディフェンス2ndチームに選出。ホークス時代はほとんど打たなかった3ポイントも、ボストンに移って以降はコンスタントに決めている。
【センター】
ジョアキム・ノア
1985年2月25日生。211センチ・105キロ
カレッジ成績:108試合、平均10.5点、6.4リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:672試合、平均8.8点、9.0リバウンド、2.8アシスト
祖父はカメルーンのサッカー選手、父のヤニックは有名なプロテニス選手、母はミス・スウェーデンという華麗な家系の出身で、自らもパリで育つ。経歴だけでなくエキゾティックな風貌や、情熱剥き出しのプレースタイルでも観衆を魅了した。
フロリダ大では06、07年にNCAAトーナメント2連覇、06年はトーナメントMVPに輝く。07年のドラフト9位でシカゴ・ブルズに加わり、3年目の09-10シーズン以降、5年間で4回平均リバウンドは2桁以上。13年2月28日には、史上6人目の20点、20リバウンド、10ブロックを記録した。
パスセンスに秀でており、2年連続のオールスターに出場した13-14シーズンに自己最多の平均5.4アシスト。同年は最優秀守備選手賞にも選ばれたが、シュート力の欠如(3ポイントは通算16本打って1本も決められなかった)が現代のバスケットボールスタイルに合わなくなり、また自身のケガもあって、急速に存在感を失っていった。今年3月に引退を表明。