“ドリームチーム”といえば、マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンらが名を連ねた初代を連想する方が大半だろう。しかし彼らより以前に、その名を冠するにふさわしい豪華メンバーが集結した代表チームがあったのをご存じだろうか。今回は1960年のローマ五輪、オスカー・ロバートソンやジェリー・ウエストらが描いた金メダルへの軌跡を紹介しよう。
■豪華絢爛な1960年アメリカ代表。補欠にもビッグネームが揃う
アメリカバスケットボール史におけるオリンピックのベストチームが、1992年のバルセロナ五輪を戦った初代ドリームチームであることに異論はないだろう。マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)、マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)の3選手を中心に、選ばれた12人中11人が殿堂入りを果たしているだけでなく、チーム単位でも殿堂に迎えられた、まさに最強と呼ぶにふさわしい存在だ。
だが、チームとして殿堂入りしているのは彼ら以外にもうひとつある。1960年のローマ五輪で金メダルを獲得した代表メンバーで、ドリームチームと同じ2010年に殿堂入り。それはつまり、こういうことを意味している。さしものドリームチームであっても、長い間史上最強と謳われていた1960年のメンバーを差し置いて、先に殿堂入りするわけにはいかなかったのだ。
1960年のアメリカ代表は、言うまでもなく全員がアマチュア選手。同じ条件で構成されたチームとしては、現在でも最強と言われている。
12人中9人がのちにNBAへと進み、うち5人は個人としても殿堂入り。共同で代表キャプテンに任命されたオスカー・ロバートソン(シンシナティ大)とジェリー・ウエスト(ウエストバージニア大)、同年の春にNCAAトーナメントで優勝したオハイオ州大のジェリー・ルーカス(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)、そしてウォルト・ベラミー(インディアナ大→元シカゴ・ゼファーズ/現ワシントン・ウィザーズほか)とボブ・ブーザー(元ブルズほか)がその5人だ。加えてロバートソン、ウエスト、ルーカスは、1996年にNBA史上最高の50人にも選出されている。
■豪華絢爛な1960年アメリカ代表。補欠にもビッグネームが揃う
アメリカバスケットボール史におけるオリンピックのベストチームが、1992年のバルセロナ五輪を戦った初代ドリームチームであることに異論はないだろう。マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)、マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)の3選手を中心に、選ばれた12人中11人が殿堂入りを果たしているだけでなく、チーム単位でも殿堂に迎えられた、まさに最強と呼ぶにふさわしい存在だ。
だが、チームとして殿堂入りしているのは彼ら以外にもうひとつある。1960年のローマ五輪で金メダルを獲得した代表メンバーで、ドリームチームと同じ2010年に殿堂入り。それはつまり、こういうことを意味している。さしものドリームチームであっても、長い間史上最強と謳われていた1960年のメンバーを差し置いて、先に殿堂入りするわけにはいかなかったのだ。
1960年のアメリカ代表は、言うまでもなく全員がアマチュア選手。同じ条件で構成されたチームとしては、現在でも最強と言われている。
12人中9人がのちにNBAへと進み、うち5人は個人としても殿堂入り。共同で代表キャプテンに任命されたオスカー・ロバートソン(シンシナティ大)とジェリー・ウエスト(ウエストバージニア大)、同年の春にNCAAトーナメントで優勝したオハイオ州大のジェリー・ルーカス(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)、そしてウォルト・ベラミー(インディアナ大→元シカゴ・ゼファーズ/現ワシントン・ウィザーズほか)とボブ・ブーザー(元ブルズほか)がその5人だ。加えてロバートソン、ウエスト、ルーカスは、1996年にNBA史上最高の50人にも選出されている。
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