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NBA

【NBAスター悲話】ニック・アンダーソン――順風満帆のバスケ人生を一変させた史上最悪の4連続FTミス【前編】

大井成義

2019.11.17

エースを務めたイリノイ大では、チームを37年ぶりのファイナル4進出に導いた。(C)Getty Images

エースを務めたイリノイ大では、チームを37年ぶりのファイナル4進出に導いた。(C)Getty Images

 大学1年時は控えに甘んじたものの、2年目にはスターターに定着、迎えた3年目に平均18.0点、7.9リバウンドを記録し、イリノイ大にとっては37年ぶりとなるファイナル4進出の原動力となった。大学で3年間プレーした後、アーリーエントリーを宣言。1989年のドラフトで、ミネソタ・ティンバーウルブズとともに誕生した新球団マジックがアンダーソンを1巡目11位で指名する。新生マジックの記念すべき第1号選手だった。

 マジックは1989-90シーズンを18勝64敗で終え、エクスパンション・チームにありがちな試練を存分に味わった。アンダーソンは控え選手ながら81試合に出場し、平均22分の出場時間で11.5点。2年目はシーズンの半数以上の試合に先発、3年目にようやくスターターに定着し、平均36.7分で19.9点、6.4リバウンドと成績を飛躍的に向上させた。またこのシーズン、オールスター・ウィークエンドのスラムダンク・コンテストに出場し、3位という好成績を残している。
 
 身長198㎝、体重93㎏。特別体格に恵まれているわけではないが、シューティングガードとしては強靭な方で、スモールフォワードのポジションも難なくこなす。ガード選手とのマッチアップではパワーで圧倒し、フォワード選手に対してはスピードで勝負する。ポストアップやリバウンドの能力にも長け、3ポイントも打て、力、技、スピードの三拍子が揃ったバランスのとれた選手だった。後年のオールスターの3ポイントコンテストにも出場するのだが、スラムダンクと3ポイントの両コンテストに出場した経験を持つ数少ない選手の一人である。

 チームは相変わらず泥沼から抜け出せないでいたが、そんななかアンダーソンは着実にエースへと成長していった。しかしアンダーソンと彼のチームメイト――シューターのデニス・スコットやポイントガードのスコット・スカイルズ――の力では、劇的な躍進は望むべくもなかった。そんな折、翌年、翌々年と低迷するマジックにバスケットボールの女神が微笑むことになる。1992年のドラフトでマジックは見事1位指名権を引き当て、10年に1人の逸材と言われた注目の大型新人、シャックの獲得に成功。マジックは一夜にして、ドアマットチームから無限の可能性を秘めた若手有望チームへと変貌した。

 1993年に4月に行なわれた対ニュージャージー・ネッツ戦で、アンダーソンは球団新記録となる50得点をマーク、だが残念ながら新聞の一面を飾ったのは、シャックの超弩級ダンクによるバックボード粉砕事件だった。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2004年6月号より加筆・修正。
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