【センター】
カリーム・アブドゥル・ジャバー
1947年4月16日生。218cm・102kg
キャリアスタッツ:1560試合、平均24.6点、11.2リバウンド、3.6アシスト
35歳の時のシーズンスタッツ:79試合、平均21.8点、7.5リバウンド、2.5アシスト
80年代中盤にはNBAファンの多くが、ジャバーは永遠にプレーを続けるのではないか?と思っていただろう。30代も半ばになる頃には、6度のMVPに輝いた往時の機敏な動きはさすがに失われていた。それでもなお、218cmの長身が右腕を目一杯伸ばして放つスカイフックを、ディフェンダーがブロックするのは不可能に近かった。
85年には38歳にして14年ぶり、そして史上最高齢でのファイナルMVPを受賞。翌86年もマジック・ジョンソンやジェームス・ウォージーを抑えて、レイカーズでトップの平均23.4点をあげた。
その後は次第に下り坂となり、88-89シーズンを最後に42歳で引退したが、通算3万8387点は以後30年以上もNBA記録として残り続けている。背の高さというアドバンテージがあるセンターは寿命の長い選手が多く、ほかにも42歳まで現役を続けたディケンベ・ムトンボや、史上2番目の高齢となる44歳でプレーしたケビン・ウィリスらがいる。
【シックスマン】
ロバート・パリッシュ
1953年8月30日生。216cm・104kg
キャリアスタッツ:1611試合、平均14.5点、9.1リバウンド、1.4アシスト
35歳の時のシーズンスタッツ:80試合、平均18.6点、12.5リバウンド、2.2アシスト
通算1611試合出場はジャバーを51試合上回って歴代1位。あまりにも長くプレーし続けたために、選手生活の晩年には、かつて正真正銘のスターだったことが忘れられかけていたほどだ。
ボストン・セルティックスの不動のセンターとして3度の優勝に大きく貢献し、81年からは7年連続でオールスターに出場。88、89年は選外となったが、90年は36歳にして3年ぶりに球宴返り咲きを果たすと、翌91年も9回目の出場。同年の平均10.6リバウンドはリーグ7位で、10度目のトップ10入りを果たした。
94-95シーズンにFAでシャーロット・ホーネッツへ移籍、2年後に解雇されると43歳でシカゴ・ブルズへ加入。ファイナルでの出場機会こそなかったが、11年ぶりにチャンピオンリングを手にしてコートを後にした。
肉を食べない食生活とストイックなトレーニングによって、常に体調は万全。39歳以降で300試合以上プレーしたのはパリッシュが唯一(351試合。カーターは299試合)である。またシーズン平均20点以上が一度もないのに(19.9点が最多)、通算2万得点(2万3334点)を達成した唯一の選手でもあった。
文●出野哲也
カリーム・アブドゥル・ジャバー
1947年4月16日生。218cm・102kg
キャリアスタッツ:1560試合、平均24.6点、11.2リバウンド、3.6アシスト
35歳の時のシーズンスタッツ:79試合、平均21.8点、7.5リバウンド、2.5アシスト
80年代中盤にはNBAファンの多くが、ジャバーは永遠にプレーを続けるのではないか?と思っていただろう。30代も半ばになる頃には、6度のMVPに輝いた往時の機敏な動きはさすがに失われていた。それでもなお、218cmの長身が右腕を目一杯伸ばして放つスカイフックを、ディフェンダーがブロックするのは不可能に近かった。
85年には38歳にして14年ぶり、そして史上最高齢でのファイナルMVPを受賞。翌86年もマジック・ジョンソンやジェームス・ウォージーを抑えて、レイカーズでトップの平均23.4点をあげた。
その後は次第に下り坂となり、88-89シーズンを最後に42歳で引退したが、通算3万8387点は以後30年以上もNBA記録として残り続けている。背の高さというアドバンテージがあるセンターは寿命の長い選手が多く、ほかにも42歳まで現役を続けたディケンベ・ムトンボや、史上2番目の高齢となる44歳でプレーしたケビン・ウィリスらがいる。
【シックスマン】
ロバート・パリッシュ
1953年8月30日生。216cm・104kg
キャリアスタッツ:1611試合、平均14.5点、9.1リバウンド、1.4アシスト
35歳の時のシーズンスタッツ:80試合、平均18.6点、12.5リバウンド、2.2アシスト
通算1611試合出場はジャバーを51試合上回って歴代1位。あまりにも長くプレーし続けたために、選手生活の晩年には、かつて正真正銘のスターだったことが忘れられかけていたほどだ。
ボストン・セルティックスの不動のセンターとして3度の優勝に大きく貢献し、81年からは7年連続でオールスターに出場。88、89年は選外となったが、90年は36歳にして3年ぶりに球宴返り咲きを果たすと、翌91年も9回目の出場。同年の平均10.6リバウンドはリーグ7位で、10度目のトップ10入りを果たした。
94-95シーズンにFAでシャーロット・ホーネッツへ移籍、2年後に解雇されると43歳でシカゴ・ブルズへ加入。ファイナルでの出場機会こそなかったが、11年ぶりにチャンピオンリングを手にしてコートを後にした。
肉を食べない食生活とストイックなトレーニングによって、常に体調は万全。39歳以降で300試合以上プレーしたのはパリッシュが唯一(351試合。カーターは299試合)である。またシーズン平均20点以上が一度もないのに(19.9点が最多)、通算2万得点(2万3334点)を達成した唯一の選手でもあった。
文●出野哲也
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