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バスケW杯

創設から約50年、NBAに次ぐ歴史を持つフィリピンのプロリーグPBA。今年のW杯開催国が“バスケ王国”になった理由<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.05.30

 これには大きく分けて2つ理由がある。まず、フィリピン人がもともと小柄な民族で、体格・身体能力の両面でNBA級の人材が少ないこと。オリンピックでも、金メダルは先の東京大会で重量挙げの選手が獲得したのが第一号。世界的に通用するアスリートは、体重別で階級が分けられているボクシングや、身体能力とは無関係のビリヤードくらいなのだ。

 バスケットボール選手でも、ソットのように身長220㎝もある者は例外。大抵はラベナ兄弟くらいのサイズ(180㎝台)しかなく、アフリカ系の選手に比べると身体能力もはるかに劣る。

 そのため、NBAでは通用しなかったアメリカ人選手でも、PBAではとんでもないスタッツを叩き出せる。1試合105得点のPBA記録保持者トニー・ハリスは、NBAでは通算14試合に出ただけ。年間平均62.1点をマークしたカルロス・ブリッグスに至っては、NBA経験すらない。その程度の選手でもウィルト・チェンバレン級の数字を残せるくらい、レベルに差があるのが現実なのだ。
 
 もうひとつの理由は、すでに述べた「先行者利益」が失われてしまったこと。アジアではバスケットボールは長い間メジャースポーツではなかったが、92年のバルセロナ五輪におけるアメリカ・ドリームチームをきっかけに、世界的なブームが発生。中国や中東地域など、それまでさほど熱心でなかったけれども、身体能力で上回るアジア諸国が力を入れるようになって、フィリピンの地位は下がってしまったのだ。

 もっとも、それより以前からアジアですら強豪でなくなっていたのも事実。オリンピックに出たのは72年が最後で、PBAの結成後は、トッププレーヤーがアマチュア資格を失い五輪などの国際大会に出場できなくなった。プロ選手の出場が解禁になれば覇権を取り戻せるだろうと国民は信じていたが、初めてPBA選手が参加した90年のアジア大会も銀メダルにとどまった。

 こうしたこともあって、PBAの黄金時代はジャウォルスキー、フェルナンデスらが活躍した80年代と言われており、現在その人気は停滞傾向にある。だからこそ、今回のW杯を人気回復の起爆剤としたいとの思いは強い。ラベナ兄弟らも参加が有力とみられる代表チームは、そうした願いを現実のものとできるだろうか。

文●出野哲也
 
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