専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
国内バスケ

【連載インタビュー】シェーファーアヴィ幸樹/前編「NCAAに行って、まず環境に驚いた。設備から選手の扱い方まで本当にプロのようだった」

萩原誠(ダンクシュート編集部)

2020.03.16

アメリカの大学を経て、昨季からBリーグでプレーするシェーファーが自身の生い立ちを語った。写真:徳原隆元

アメリカの大学を経て、昨季からBリーグでプレーするシェーファーが自身の生い立ちを語った。写真:徳原隆元

 開幕へのカウントダウンが始まる東京五輪。本連載では、オリンピックでの活躍が期待される各競技の注目選手の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。

 今回は、名門ジョージア工科大出身のBリーガー、滋賀レイクスターズのシェーファー アヴィ幸樹を直撃。昨年のワールドカップで日本代表最年少として出場した22歳に、自身の生い立ちや母国で開催される大舞台へかける意気込みを聞いた。

 前編では、日本で過ごした中学・高校時代、そして父の母国アメリカへ渡った大学時代での興味深い話を紹介。バスケ経験わずか3年で日本代表へと上り詰めたビッグマンは、いったいどんなキャリアをたどって今に至るのか。
 
――シェーファー選手は高校時代はインターナショナルスクールに通われていたんですよね?

もともと地元の神戸のインターナショナルスクールに1年間通っていたんですけど、中学までは普通の学校に行っていました。インターナショナルスクールに行った理由としては、兄が通っていたというのと、大学はアメリカに行きたいという気持ちがあったので、そういう選択をしました。

――もともとアメリカに行きたいというビジョンがあったんですね?

はい、バスケうんぬんじゃなく、家族、特にアメリカ人の父としては僕に1度アメリカに住んでほしいというのがあって。僕自身もそういう思いがあったので、インターナショナルスクールに行った方が、というよりは、行かないと現実的じゃないなということで進路を決めました。それで高1のはじめに東京に引っ越して、セントメリーズ・インターナショナルスクールに入りました。

――言葉に関しては幼少時代から英語も話せるのですか?

そうですね、読み書きは習っていなかったですけど、毎年夏にはアメリカに行っていたので、会話はそれなりにできていました。父とは、小さい頃は日本語も交ぜながらという感じで話していました。ただ、やはり父としては英語の方が楽なので、今はもうすべて英語で話しています。

――バスケとはどんな出会いだったんですか?

中学までずっとサッカーをしていたのですが、入学した高校のクラブがあまり強いチームではありませんでした。1年生の時は所属していたのですが、どこか物足りなくて…。その時バスケの勧誘もされていて、そっちの方が環境が良かったので始めてみました。インターナショナルスクールはシーズン制なので、オフシーズンの間に別のスポーツをやるということでオープンジムで気軽に5対5をやるようになって。そしたら意外と楽しくて。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号