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NBA

低迷するNBAの救世主となった2大スター、バードとマジック。そしてジョーダンの登場により、世界的な人気スポーツへ【NBA70年史|1981~90年】

出野哲也

2019.12.29

バークレー(右)、オラジュワン(左)をはじめ、ジョーダンと同期の84年ドラフト組はスーパースターが勢揃い。(C)Getty Images

バークレー(右)、オラジュワン(左)をはじめ、ジョーダンと同期の84年ドラフト組はスーパースターが勢揃い。(C)Getty Images

 ジョーダンがNBA入りした84年のドラフトでは、ほかにも歴史に残る名選手たちが何人も指名された。1位でヒューストン・ロケッツに入団したアキーム・オラジュワンは、ビッグマン離れした俊敏なフットワークで攻守にわたって活躍。86年にはラルフ・サンプソンとのツインタワーでファイナルまで進んだ。5位でシクサーズが指名したチャールズ・バークレーは、PFとしては小柄でありながらも、頑強な肉体とファイティングスピリットでリバウンドを奪いまくり、奔放なキャラクターも相まって人気を博した。16位でユタ・ジャズに入団したジョン・ストックトンは、当時はほとんど無名に近かったが88年以降9年連続アシスト王となり、現在でも通算アシストとスティールで歴代1位になっている。

 この年の2位指名権を持っていたポートランド・トレイルブレイザーズが、ジョーダンを回避してサム・ブーイを指名したのは史上最大級の失敗だった。だがその理由は、同じSGにクライド・ドレクスラーがいたからでもある。ジョーダンとの比較では分が悪いが、ドレクスラーも素晴らしい選手で、美しいダンクと高い得点力でブレイザーズを上位争いの常連に押し上げた。
 
 そのほか、オールスターのスラムダンク・コンテストでジョーダンの最大の好敵手となり、88年のプレーオフではバードと伝説的な点取り合戦を繰り広げたドミニク・ウィルキンス(元アトランタ・ホークスほか)、ストックトンとのコンビでボールを着実にゴールへ運んだ“メールマン(郵便配達人)“ことカール・マローン(元ジャズほか)、学生時代からジョーダンやオラジュワンと鎬を削り、プロでもライバル関係を継続したパトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)など、この時代には数多くの個性的な名選手が現われて、リーグを大いに盛り上げた。

 80年代後半には、史上最高・最凶の悪役軍団ピストンズが台頭する。アイザイア・トーマスを首領とし、ビル・レインビア、リック・マホーン、デニス・ロッドマンら、涼しい顔でラフプレーをやってのける“バッドボーイズ”に、ジョーダンとブルズは何度となく煮え湯を飲まされ、89年にはレイカーズもその軍門に下った。

 こうしてNBAは世界的な人気スポーツとなる下地を、この時代に作り上げた。最大の功績が選手たちにあったのは言うまでもないが、84年に就任したデイビッド・スターン・コミッショナーがリーダーシップを発揮し、麻薬問題の解決に取り組むなどイメージ改善を推し進めたリーグ全体の努力も見逃してはならない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2016年11月号より転載
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