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NBA

追悼ジェリー・ウエスト――NBAロゴ誕生にまつわる裏話と、ロゴを巡る複雑なドラマ【NBA秘話:前編】<DUNKSHOOT>

大井成義

2024.06.17

『シーゲル+ゲール』はその後大手に買収され、シーゲルはチェアマンのポストを与えられるも2012年に退社。新たな会社『シーゲルビジョン』を創立し、現在も第一線で活躍している。

■ロゴのデザイン担当者が出会った“運命の一枚”

 ニューヨーク州ロングアイランドの高校に通う身長188cmのシーゲルは、バスケットボールのスター選手だった。数十の大学から奨学金のオファーを受けたが、学業に専念するためすべて辞退し、名門コーネル大に進学。1年間プレーした後、本格的なバスケットボールとは距離を起き、勉学に勤しんだ。

 そんな経歴を持っていたからこそ、NBAのロゴ制作には力が入った。『ESPN』のスポーツ&カルチャー情報サイト『The Undefeated』や、『ロサンゼルス・タイムズ』紙とのインタビューなどで、シーゲルは制作秘話を明かしている。
 
 最初に検討したのは、カリーム・アブドゥル・ジャバー(元レイカーズほか)のスカイフック。ほかにもウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア/現ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)、ジョン・ハブリチェック(元ボストン・セルティックス)、トム・ゴーラ(元ウォリアーズほか)、その他数人のスター選手が候補に上がった。

 インターネットはもちろんのこと、NBAフォトもまだ存在していない時代である。素材探しに苦心していると、幼なじみであり、コーネル大の同窓生でもあった友人のディック・シャープが手を差し伸べてくれた。シャープは当時スポーツライターとして活動しており(後に有名ブロードキャスターとなり、4大ネット局の『ABC』や『NBC』で活躍)、とあるスポーツ誌が所蔵する写真アーカイブへのアクセスを取り付けてくれたのだった。

 そこで出会った運命の1枚が、左手でドリブルをするウエストの写真である。ニューヨークで育ったシーゲルは、父がニックスのシーズンチケットを所有していたこともあり、ウエストのプレーは何度も生で見ていた。ハブリチェックやオスカー・ロバートソンと並んで大好きな選手の1人であり、また自分と同い年のウエストには親近感を持っていた。
 
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