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NBA

【NBAスター悲話】“ピストル・ピート”マラビッチ――コートに死したバスケットボールの申し子【後編】

大井成義

2020.01.07

 現役引退後の数年間、マラビッチは絶望のどん底にいた。そして人生の真の幸せを見つけるため、生きる意味とは何か、その答えを探すために、様々なものに傾倒していった。サバイバリズム(生存術)、UFO研究、占星術、神秘学、ヨガ、ヒンズー教、ベジタリズム、マクロビオティック……。

 それまでバスケットボールこそが唯一の宗教であり、クリスチャンの家庭に育ちながら神を拒み続けてきたマラビッチだったが、救いの手をどうしても必要とした彼は過去の自分を懺悔し、最後にはキリストにも救済を求めた。あなたが助けてくれなければ、自分はもう生きていけない、と。

 そしてある日の朝、マラビッチは神の啓示を受ける。その日を境に、彼は人一倍敬虔なクリスチャンへと生まれ変わった。福音伝道者として演説を行ない、子どもたちのためのバスケットボール・キャンプを開催し、バスケットボールのレッスン・ビデオを制作した。そうして尽くすことの喜びを知ったマラビッチの心は、少しずつ満たされていく。彼の人生に、待ち焦がれていた“幸せ”がようやく訪れたのだった。
 
■コートに死したバスケットボールの申し子

 1985年、ジャズはマラビッチの背番号7を永久欠番に決定。1987年には39歳という史上最年少の若さで殿堂入りを果たした。理想的な形での引退ではなかったにせよ、実績は正当に評価され、何より彼は生きる意味を知った。幸せに満ちた、穏やかな第二の人生が待っているはずだった。ところが————。

 1988年1月5日、マラビッチは自宅があるルイジアナから、ロサンゼルス近郊のパサデナへ飛んだ。全米で最も有名な福音派クリスチャン指導者、ジェームズ・ドブソン牧師のラジオ番組へゲストとして呼ばれ、その収録のための旅だった。ドブソンは当時51歳、身長195cmと大柄な男で、大学時代にはテニス部のキャプテンを努めたほどのスポーツマン。多忙な日々を送る傍ら、週3回のピックアップゲームを何よりも楽しみにしていた。

 今回は、なんとあのピストル・ピートが街にやって来る。こんなチャンスは滅多にないと考えたドブソンは、マラビッチにピックアップゲームへの参加を要請してみたところ、嬉しいことに快諾してくれた。ピストル・ピートと一緒にプレーできるなんて夢のような話であり、ドブソンはこの日が訪れるのを指折り数えて待っていた。
 

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