そして83年にはバイロン・スコットがロサンゼルス・レイカーズに入団(4位/指名はロサンゼルス・クリッパーズ)。80年代に絶大な強さと人気を誇った“ショータイム”レイカーズの主力として、3度のリーグ制覇に大きく貢献した。
2000年からはネッツのHCを務め、02年のファイナルでは古巣レイカーズと激突するもあえなく4連敗。その後はレイカーズも含め、4球団で約14年間も采配を振ったが、指導者としての評価は芳しいものではなかった。
82年限りでウォークが退任すると、トーナメントには散発的にしか出られなくなり、NBAで通用する選手もめっきり少なくなっていった。
91年に2巡目48位指名を受けたアイザック・オースティンは、マイアミ・ヒート時代の97年にMIPを受賞するも、活躍が目立ったのはごく短期間。1試合61得点、年間736点、通算2044点がすべて学校記録となっているエディ・ハウス(元ボストン・セルティックスほか)も、9球団を渡り歩いて平均得点が2桁に乗ることは一度もなかった。
97~02年の6年間は、ドラフトで指名されたのも前述のハウス(00年2巡目37位)のみ。95~96年の2シーズンの成績が、八百長行為の発覚によって抹消されるという不祥事も引き起こしている。
そうした停滞ムードを打ち破ったのがジェームズ・ハーデンだった。2年時の09年に平均20.1点をマークし、ASU史上初のオールアメリカン1stチームに選出。6年ぶりのトーナメント進出に貢献すると、同年のドラフト3位でオクラホマシティ・サンダーに指名され、12年にはシックスマン賞に輝いた。
そしてその才能は、12-13シーズンのヒューストン・ロケッツ移籍後に完全に開花する。17年は平均11.2本でアシスト王を獲得。18年は得点王(30.4点)に加え、ロケッツをリーグ最高勝率に導き念願のシーズンMVPにも輝いた。その後も驚異のスコアリングマシンとしてハイパフォーマンスを披露し続け、リーバーやスコットを抜いてASU出身者で最高の選手となっている。
母校の方もハーデンに負けじとばかりに、デューク大の名司令塔として2度の全米制覇を成し遂げたボビー・ハーリーを15年にHCに招聘。NBAでは自動車事故で負ったケガの影響もあり大成しなかったが、元来の聡明さをコーチングに生かし、就任3年目でトーナメント出場を実現させた。“シーズンMVP受賞者の出身校”、“元NCAA王者の指導する大学”という看板に魅力を感じて有望な選手たちが入学してくれば、ASUは近いうちにトーナメントを沸かせる存在となりそうだ。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2018年10月号より加筆・修正
2000年からはネッツのHCを務め、02年のファイナルでは古巣レイカーズと激突するもあえなく4連敗。その後はレイカーズも含め、4球団で約14年間も采配を振ったが、指導者としての評価は芳しいものではなかった。
82年限りでウォークが退任すると、トーナメントには散発的にしか出られなくなり、NBAで通用する選手もめっきり少なくなっていった。
91年に2巡目48位指名を受けたアイザック・オースティンは、マイアミ・ヒート時代の97年にMIPを受賞するも、活躍が目立ったのはごく短期間。1試合61得点、年間736点、通算2044点がすべて学校記録となっているエディ・ハウス(元ボストン・セルティックスほか)も、9球団を渡り歩いて平均得点が2桁に乗ることは一度もなかった。
97~02年の6年間は、ドラフトで指名されたのも前述のハウス(00年2巡目37位)のみ。95~96年の2シーズンの成績が、八百長行為の発覚によって抹消されるという不祥事も引き起こしている。
そうした停滞ムードを打ち破ったのがジェームズ・ハーデンだった。2年時の09年に平均20.1点をマークし、ASU史上初のオールアメリカン1stチームに選出。6年ぶりのトーナメント進出に貢献すると、同年のドラフト3位でオクラホマシティ・サンダーに指名され、12年にはシックスマン賞に輝いた。
そしてその才能は、12-13シーズンのヒューストン・ロケッツ移籍後に完全に開花する。17年は平均11.2本でアシスト王を獲得。18年は得点王(30.4点)に加え、ロケッツをリーグ最高勝率に導き念願のシーズンMVPにも輝いた。その後も驚異のスコアリングマシンとしてハイパフォーマンスを披露し続け、リーバーやスコットを抜いてASU出身者で最高の選手となっている。
母校の方もハーデンに負けじとばかりに、デューク大の名司令塔として2度の全米制覇を成し遂げたボビー・ハーリーを15年にHCに招聘。NBAでは自動車事故で負ったケガの影響もあり大成しなかったが、元来の聡明さをコーチングに生かし、就任3年目でトーナメント出場を実現させた。“シーズンMVP受賞者の出身校”、“元NCAA王者の指導する大学”という看板に魅力を感じて有望な選手たちが入学してくれば、ASUは近いうちにトーナメントを沸かせる存在となりそうだ。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2018年10月号より加筆・修正
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