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NBA

カレッジバスケ史上最高のスター集団“ファブ・ファイブ”を擁しながら優勝は1度のみ。苦杯を舐め続けてきたミシガン大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.01.03

ウェバー、ローズ、ハワード(右から)らを擁した1年生スター軍団“ファブ・ファイブ”は人気と実力を兼ね備え、大学バスケ界を席巻した。(C)Getty Images

ウェバー、ローズ、ハワード(右から)らを擁した1年生スター軍団“ファブ・ファイブ”は人気と実力を兼ね備え、大学バスケ界を席巻した。(C)Getty Images

 NCAAトーナメント(以下トーナメント)の歴史を振り返っても、ミシガン大(通称ウルバリンズ)以上に悔しい思いを味わっているチームは存在しないだろう。これまで決勝に7度も駒を進めながら、頂点に立ったのは1989年の1度だけ。92、93年にはカレッジバスケ史上最高のスター集団〝ファブ・ファイブ〞を擁するも、2年連続で準優勝に甘んじている。

 1898年にチームを立ち上げたライバル校のミシガン州大に比べ、ミシガン大のバスケットボール部が創設されたのは1908年とやや遅かった。翌年には一旦廃部となったが、17年に再結成。48年にはトーナメント初出場を果たしたものの、2度目の進出は16年後の64年と成績は振るわなかった。

 ただそんなチーム状況のなかでも、優れたプレーヤーを多く輩出。20年代には3人がオールアメリカンに選ばれた。なかでもベニー・オースターバーンはフットボール選手としても名を馳せ、2003年に『スポーツ・イラストレイテッド紙』が発表した「ミシガン州の最も偉大なスポーツ選手」の4位に選ばれている。
 
 64年はキャジー・ラッセル、ビル・バンティンの活躍でファイナル4まで勝ち進む。翌65年は決勝に駒を進めたが、UCLAに敗れて優勝には届かなかった。在学3年間で平均27.1点をあげたラッセルは、ミシガン大史上最高の選手と評されており、67年に完成した新アリーナのクライスラー・センターは通称〝キャジーの建てた家〞と呼ばれている。66年のドラフトでは、全体1位でニューヨーク・ニックスから指名を受けてNBA入り。12年間のキャリアで平均15.1点と、ドラ1選手としては控えめな成績に終わったが、70年にはニックスの一員として優勝を経験している。

 67年に入学したルディ・トムジャノビッチは、同大の1試合最多得点(48点)と最多リバウンド(30本)を叩き出すなど、人気と実力を兼ね備えたスター選手として活躍。プロ入り後はヒューストン・ロケッツ一筋で過ごし、オールスターに5回出場したほか、引退後はロケッツでヘッドコーチを務め、94、95年にチームを2連覇へと導いている。
 
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