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国内バスケ

【連載インタビュー】シェーファーアヴィ幸樹/前編「NCAAに行って、まず環境に驚いた。設備から選手の扱い方まで本当にプロのようだった」

萩原誠(ダンクシュート編集部)

2020.03.16

大学時代のチームメイトで、現ウルブズのオコーギーには、コート内外での意識の高さに関心したという。(C)Getty Images

大学時代のチームメイトで、現ウルブズのオコーギーには、コート内外での意識の高さに関心したという。(C)Getty Images

――当時のチームには現在NBAで活躍中のジョシュ・オコーギー選手(ミネソタ・ティンバーウルブズ)もいましたよね?

彼はバスケの技術はもちろんなんですけど、それ以上にメンタル面・意識がほかの選手と違うなと思いました。常に体育館にいますし、チームの練習が始まる頃にはワークアウトを終えている。練習が終わった後もなかなか体育館から出ないですし、バスケに対して本当に真面目に向き合っていました。彼は勉強面もちゃんとしていて、そのあたりにも意識の差が出ていて、「こういうヤツがNBAに行くんだろうな」と思っていました。

――ジョージア工科大はアメリカのなかでも屈指の強豪カンファレンス(ACC)ですよね?

デューク大やノースカロライナ大など、アウェーで行くアリーナは全部とんでもないアリーナばっかりで、どこも印象に残っています。

――シェーファー選手自身はプレータイムがほとんどもらえなかったなかで、モチベーションなどはいかがでしたか?

同じポジションに今スペインでプレーしているベン・ラマーズという選手がいたんですけど、彼は僕が入ったときに4年生で、目標としていた選手でした。オコーギーのようなNBAレベルの選手もいましたし、試合に出ることができないもどかしさはあったんですけど、「こんな場所に俺がいるんだ」という今まで経験してきたものとは別格の環境がモチベーションになっていました。「このレベルでやれるようにとにかく頑張らなきゃ」という気持ちで毎日体育館に通っていましたね。
 
――腐るようなことはなかったと?

腐る暇もなかったですね。勉強も忙しかったですし、そういう意味ではレベルの高い環境に行って忙しくできたことは自分にとってよかったなと思います。

――当然、勉強も大変だったかと思いますが、大学時代のスケジュールはどんな感じだったんでしょうか?

授業は8時ぐらいから始まって、13時までには終えるようにスケジュールを組んでいました。そこから昼食をとって14時には体育館に行くという流れですね。そこから3時間くらい練習して、ウエイト、シューティングをして、20時くらいに夕食。そこから寮に帰って一息ついて、宿題をやるという。宿題がとにかく大変で、体育館にいるか勉強しているかという感じでしたね。

勉強は高校とかプレップスクールではそれなりにできていたので、なんなら「自分、頭良いかも」なんて思ってたんですけど、いざジョージア工科大に行ったら世界のトップレベルを目の当たりにしました。授業を普通に受けててもだんだんついていけなくなったりした時に、「なんで分からないの」という目で見られたりして(笑)。

――バスケの面で特に力を入れた部分は?

ディフェンスはすごく鍛えられましたね。試合にはあまり出ていなかったんですけど、練習では主力を相手に守ることが多かったので、もちろん簡単にやられたら怒られますし、そういう意味ではよく鍛えられました。あとはとにかく自分でできるシューティングとか、ウエイトを頑張ってジャンプ力を上げたりとか、そういった部分はやっていましたね。

(後編に続く)

【PROFILE】
シェーファーアヴィ幸樹(こうき)。1998年1月28日生まれ、大阪府吹田市出身。アメリカ人の父と日本人の母のもと日本で育ち、中学時代まで神戸で過ごす。その後、東京のインターナショナルスクールに進学し、アメリカのプレップスクールを経て2017年にNCAAディビジョンⅠのジョージア工科大に入学する。同校では1年目に4試合、2年目に2試合に出場。18年12月にBリーグのアルバルク東京に加入したのち、19年8月に現在所属する滋賀レイクスターズに期限付き移籍。今季はここまで全試合に出場し、平均4.1点、4.5リバウンドをマーク。日本代表には2018年に初選出され、19年のW杯ではチーム最年少として2試合に出場した。
 

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