シーズン途中に解任されたザーゴ前監督のあとを受け、チーム再建に取り組む鹿島アントラーズの相馬直樹新監督の手腕に注目が集まっている。
指揮を執るようになってから公式戦8試合を終えた時点で、5勝3分け負けなし。「アグレッシブに戦うこと。チャレンジすること。そして、持てる力を出しきること」を選手たちに求め、開幕当初の停滞ムードを一掃した。
5月12日、前倒しとなったJリーグ第21節の名古屋戦では、アウェーゲームにもかかわらず、相手に1本もシュートを打たせず、2-0の完勝。次から次へとボールホルダーに襲い掛かる強度の高い守備と、変化に富んだ攻撃で圧倒した。
クラブOBであり、常勝・鹿島のマインドを受け継ぐ相馬監督は現役時代、右利きの左サイドバックとして名をはせた人物だ。
「走ってナンボ、使われてナンボ」
左SBである自身のモットーを尋ねたとき、こういう答えが返ってきたが、理論派で鳴らす相馬ならではの気の利いたポジション取りは秀逸だった。刻一刻と変わっていく状況に応じて、きめ細かく自分の立ち位置を修正する。それによって守備においても攻撃においても先手を取っていた。
「いてほしいところに、いつもいてくれる」
同時にピッチに立つチームメイトからこうした声がよく聞かれたが、これほどのほめ言葉はないだろう。かゆいところに手が届く。献身的で、誠実なパフォーマンスは相馬の真骨頂でもあった。
子どもの頃は真ん中でプレーするのが好きだった。周りを生かし、自分も生きるようなディフェンシブハーフ(今でいうボランチもしくはアンカー)になりたいと思っていた。
ところが、高校1年生の時に左SBを任されて以降、いつしかそこが主戦場になった。
大きなきっかけは静岡県のインターハイ予選だったそうだ。対戦相手の強烈な右ウイングを抑えるために“限定起用”されたことがその後のサッカー人生を大きく変えていく。
高校サッカー界の名門のひとつ、清水東が相馬の母校だが、当時から“キヨショウ”こと清水商(現・清水桜が丘)や東海大一(現・東海大府翔洋)、静岡学園など強豪としのぎを削り合っていた。
指揮を執るようになってから公式戦8試合を終えた時点で、5勝3分け負けなし。「アグレッシブに戦うこと。チャレンジすること。そして、持てる力を出しきること」を選手たちに求め、開幕当初の停滞ムードを一掃した。
5月12日、前倒しとなったJリーグ第21節の名古屋戦では、アウェーゲームにもかかわらず、相手に1本もシュートを打たせず、2-0の完勝。次から次へとボールホルダーに襲い掛かる強度の高い守備と、変化に富んだ攻撃で圧倒した。
クラブOBであり、常勝・鹿島のマインドを受け継ぐ相馬監督は現役時代、右利きの左サイドバックとして名をはせた人物だ。
「走ってナンボ、使われてナンボ」
左SBである自身のモットーを尋ねたとき、こういう答えが返ってきたが、理論派で鳴らす相馬ならではの気の利いたポジション取りは秀逸だった。刻一刻と変わっていく状況に応じて、きめ細かく自分の立ち位置を修正する。それによって守備においても攻撃においても先手を取っていた。
「いてほしいところに、いつもいてくれる」
同時にピッチに立つチームメイトからこうした声がよく聞かれたが、これほどのほめ言葉はないだろう。かゆいところに手が届く。献身的で、誠実なパフォーマンスは相馬の真骨頂でもあった。
子どもの頃は真ん中でプレーするのが好きだった。周りを生かし、自分も生きるようなディフェンシブハーフ(今でいうボランチもしくはアンカー)になりたいと思っていた。
ところが、高校1年生の時に左SBを任されて以降、いつしかそこが主戦場になった。
大きなきっかけは静岡県のインターハイ予選だったそうだ。対戦相手の強烈な右ウイングを抑えるために“限定起用”されたことがその後のサッカー人生を大きく変えていく。
高校サッカー界の名門のひとつ、清水東が相馬の母校だが、当時から“キヨショウ”こと清水商(現・清水桜が丘)や東海大一(現・東海大府翔洋)、静岡学園など強豪としのぎを削り合っていた。