代表校がしのぎを削る「全国高校サッカー選手権」の優勝回数を都道府県別にランキングした。トップは1950年、60年代を席巻した埼玉県で、これに続くのが、その後に台頭した静岡県と90年代から力をつける千葉県だ。優勝年度を振り返ると、時代ごとの勢力図が浮かび上がってくる。まずは、ランキングから見ていこう。※「全国高等学校蹴球選手権大会」に改称された1947年度大会から計算
●高校サッカー選手権都道府県別優勝回数ランキング
1位 埼玉県 12回(浦和市立④、浦和③、浦和南③、浦和西、武南)
2位 静岡県 10回(藤枝東④、清水商③、清水東、東海大一、静岡学園)
3位 千葉県 8回(市立船橋⑤、習志野②、流経大柏)
4位 長崎県 7回(国見⑥、島原商)
5位 東京都 6回(帝京⑥)
広島県 6回(修道②、鯉城、東千田、山陽、広島皆実)
7位 大阪府 5回(池田、岸和田、明星、初芝、北陽)
8位 福岡県 3回(東福岡③)
9位 青森県 2回(青森山田②)
秋田県 2回(秋田商②)
茨城県 2回(古河一②)
京都府 2回(山城、洛北)
鹿児島県 2回(鹿児島実②)
14位 岩手県 1回(重岡商)
栃木県 1回(宇都宮)
群馬県 1回(前橋育英)
山梨県 1回(山梨学院)
富山県 1回(富山一)
石川県 1回(星稜)
三重県 1回(四日市中央工)
滋賀県 1回(野洲)
兵庫県 1回(滝川二)
愛媛県 1回(南宇和)
宮崎県 1回(鵬翔)
■埼玉県勢、静岡県勢が勝てなくなった理由は……
御三家が突出していたのは、高体連が基軸になった時代ならではの現象だった。
前回の東京五輪(1964年)の頃の日本代表は広島県出身者が圧倒的に多く、チーム内では広島弁が幅を利かせた。65年にはJSL(日本サッカーリーグ)が開幕し、いきなり東洋工業が4連覇を果たすが、チームの大半は県内の高校で育った選手たちだった。後を追いかけたのが、高校選手権を席巻した浦和勢で、51年から浦和が3度、浦和市立が4度、浦和西が1度、そして先日亡くなった松本暁司監督率いる浦和南は、田嶋幸三・現JFA会長を擁して大阪開催最後の大会を制すと、翌年に東京移転後も連覇(3度目の優勝)を遂げ、結局計11度も優勝旗は浦和へと運ばれた。バラエティ番組「さんまのまんま」にゲスト出演した星野源が「浦和出身? だったらサッカーしとったんやろうな」と突っ込まれていたが、レッズ誕生前から浦和がサッカーの街というイメージは染みついていた。埼玉勢としては、81年に武南が選手権を制すが、まさかそれから40年間近くも無冠が続くとは誰も思わなかったに違いない。
●高校サッカー選手権都道府県別優勝回数ランキング
1位 埼玉県 12回(浦和市立④、浦和③、浦和南③、浦和西、武南)
2位 静岡県 10回(藤枝東④、清水商③、清水東、東海大一、静岡学園)
3位 千葉県 8回(市立船橋⑤、習志野②、流経大柏)
4位 長崎県 7回(国見⑥、島原商)
5位 東京都 6回(帝京⑥)
広島県 6回(修道②、鯉城、東千田、山陽、広島皆実)
7位 大阪府 5回(池田、岸和田、明星、初芝、北陽)
8位 福岡県 3回(東福岡③)
9位 青森県 2回(青森山田②)
秋田県 2回(秋田商②)
茨城県 2回(古河一②)
京都府 2回(山城、洛北)
鹿児島県 2回(鹿児島実②)
14位 岩手県 1回(重岡商)
栃木県 1回(宇都宮)
群馬県 1回(前橋育英)
山梨県 1回(山梨学院)
富山県 1回(富山一)
石川県 1回(星稜)
三重県 1回(四日市中央工)
滋賀県 1回(野洲)
兵庫県 1回(滝川二)
愛媛県 1回(南宇和)
宮崎県 1回(鵬翔)
■埼玉県勢、静岡県勢が勝てなくなった理由は……
御三家が突出していたのは、高体連が基軸になった時代ならではの現象だった。
前回の東京五輪(1964年)の頃の日本代表は広島県出身者が圧倒的に多く、チーム内では広島弁が幅を利かせた。65年にはJSL(日本サッカーリーグ)が開幕し、いきなり東洋工業が4連覇を果たすが、チームの大半は県内の高校で育った選手たちだった。後を追いかけたのが、高校選手権を席巻した浦和勢で、51年から浦和が3度、浦和市立が4度、浦和西が1度、そして先日亡くなった松本暁司監督率いる浦和南は、田嶋幸三・現JFA会長を擁して大阪開催最後の大会を制すと、翌年に東京移転後も連覇(3度目の優勝)を遂げ、結局計11度も優勝旗は浦和へと運ばれた。バラエティ番組「さんまのまんま」にゲスト出演した星野源が「浦和出身? だったらサッカーしとったんやろうな」と突っ込まれていたが、レッズ誕生前から浦和がサッカーの街というイメージは染みついていた。埼玉勢としては、81年に武南が選手権を制すが、まさかそれから40年間近くも無冠が続くとは誰も思わなかったに違いない。