4月21日朝、イタリア・ローマ市内にあるカトリックの総本山バチカン市国で、ローマ教皇フランシスコ(伊語発音はフランチェスコ)が88歳で死去した。2月半ばに肺炎を患い38日間の入院生活を送っていたものの、3月23日から公務に復帰、前日にはキリスト教の重要な行事である復活祭(イースター)のミサのため車椅子でサン・ピエトロ大聖堂に姿を現し、群衆と笑顔を交わしていただけに、訃報は驚きをもって迎えられた。死因は脳卒中と心不全だった。
イタリア政府は国としての服喪を宣言し、イタリアオリンピック連盟もすべてのスポーツイベントの中止・延期を決めて、同日予定されていたサッカー・セリエAの3試合も順延となっている。
教皇フランシスコの本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。1936年ブエノスアイレス生まれのイタリア系アルゼンチン人で、欧州以外の出身者としては史上初めての教皇だった。「教会は貧しい人々のためのものである」という立場を常に前面に出して、社会的弱者に寄り添う姿勢を強く打ち出し、現代社会に生きる多様な人々との対話を重視するなど、庶民派、社会派の教皇として知られた。
離婚、中絶、LGBTQ+といったキリスト教の伝統的な教義に反するテーマに対しても、「神はすべての子を愛しておられる」として、非難や排除ではなく理解と赦し、対話と包摂に重きを置く「慈愛」と「導き」の姿勢を明確に示した。同時に、イスラム教をはじめ他宗教との関係においても、対立ではなく対話を重視し、宗教と信仰がもたらす「共通善」は人類共通の倫理と道徳の基盤となりえるという立場を取ってきた。
イタリアのスポーツジャーナリズムの間では、こうした教皇としての立場や姿勢の背景には、アルゼンチンにおいてサッカーというスポーツにどっぷり漬かって育った生い立ち、それがもたらしたサッカーを愛する者ならではの人生哲学があったのではないか、という興味深い見方も出ている。
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、自身が生まれ育ったブエノスアイレスのバホ・フローレス地区に本拠を置くクラブ、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロの熱狂的と言っていいサポーターだった。それを公言して憚らなかっただけでなく、終生を通してクラブのソシオであり続けたほど。
偶然か必然か、サン・ロレンソはそのオリジンからカトリック教会と結びついていた。クラブを創設したのは、地元の少年たちに「日曜のミサへの出席」を条件に、教会の敷地内でサッカーをすることを許可した街の神父ドン・ロレンソ・マッサだった。クラブの愛称「ロス・クエルボス(カラスたち)」は、教会の司祭が身に着ける黒い司祭服に由来するものだ。
ベルゴリオは自伝の中で、少年時代には日が暮れるまでぼろ切れを丸めたボールを追いながら過ごしたこと、サッカーが下手だったのでポジションはゴールキーパーだったことを回想している。ブエノスアイレス大学(化学専攻)を卒業し、22歳でイエズス会に入信したベルゴリオは、信仰の道に入ってもなお「クエルビータ」(カラスっ子ー=サン・ロレンソサポーターの愛称)であることを止めなかった。
【動画】2014年9月1日にローマのオリンピコで開催された「平和のための試合」ハイライト & マラドーナやバッジョ、デル・ピエロらが教皇フランチェスコに謁見
イタリア政府は国としての服喪を宣言し、イタリアオリンピック連盟もすべてのスポーツイベントの中止・延期を決めて、同日予定されていたサッカー・セリエAの3試合も順延となっている。
教皇フランシスコの本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。1936年ブエノスアイレス生まれのイタリア系アルゼンチン人で、欧州以外の出身者としては史上初めての教皇だった。「教会は貧しい人々のためのものである」という立場を常に前面に出して、社会的弱者に寄り添う姿勢を強く打ち出し、現代社会に生きる多様な人々との対話を重視するなど、庶民派、社会派の教皇として知られた。
離婚、中絶、LGBTQ+といったキリスト教の伝統的な教義に反するテーマに対しても、「神はすべての子を愛しておられる」として、非難や排除ではなく理解と赦し、対話と包摂に重きを置く「慈愛」と「導き」の姿勢を明確に示した。同時に、イスラム教をはじめ他宗教との関係においても、対立ではなく対話を重視し、宗教と信仰がもたらす「共通善」は人類共通の倫理と道徳の基盤となりえるという立場を取ってきた。
イタリアのスポーツジャーナリズムの間では、こうした教皇としての立場や姿勢の背景には、アルゼンチンにおいてサッカーというスポーツにどっぷり漬かって育った生い立ち、それがもたらしたサッカーを愛する者ならではの人生哲学があったのではないか、という興味深い見方も出ている。
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、自身が生まれ育ったブエノスアイレスのバホ・フローレス地区に本拠を置くクラブ、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロの熱狂的と言っていいサポーターだった。それを公言して憚らなかっただけでなく、終生を通してクラブのソシオであり続けたほど。
偶然か必然か、サン・ロレンソはそのオリジンからカトリック教会と結びついていた。クラブを創設したのは、地元の少年たちに「日曜のミサへの出席」を条件に、教会の敷地内でサッカーをすることを許可した街の神父ドン・ロレンソ・マッサだった。クラブの愛称「ロス・クエルボス(カラスたち)」は、教会の司祭が身に着ける黒い司祭服に由来するものだ。
ベルゴリオは自伝の中で、少年時代には日が暮れるまでぼろ切れを丸めたボールを追いながら過ごしたこと、サッカーが下手だったのでポジションはゴールキーパーだったことを回想している。ブエノスアイレス大学(化学専攻)を卒業し、22歳でイエズス会に入信したベルゴリオは、信仰の道に入ってもなお「クエルビータ」(カラスっ子ー=サン・ロレンソサポーターの愛称)であることを止めなかった。
【動画】2014年9月1日にローマのオリンピコで開催された「平和のための試合」ハイライト & マラドーナやバッジョ、デル・ピエロらが教皇フランチェスコに謁見