――そうやって信頼を掴んだから、ハンブルクではキャプテンを任されるようになったのですね。異国の地で重責を担う経験を思い返すと?[編集部・注/16―-17シーズンの途中から就任]
「もう、とにかく大変でした。僕が指名された11月まで、チームは開幕から一度も勝てていなくて、まったく余裕がなかったので、自分にできることはなんでもやろうって姿勢でした。しかも、そのタイミングで僕は慣れないボランチにコンバートされて、まさに手探り状態。とりあえず、ポジティブでいることは常に心掛けて、動きが分からなくても、ひたすら走ってチームの助けになろうと必死でこなしました。もう毎試合終わるたびに、声は枯れるし、心身ともに疲れ果てていました」
――しかしキャプテン2年目の翌シーズンに、チームは2部に降格。責任は相当感じていたはずです。
「僕だけでなく、チームメイト全員が負い目を感じていました。実は、みんな心のどこかで今年は落ちるかもしれないという予感があったようでした。毎年残留争いを繰り返していたし、特に降格した前の年は本当にギリギリだったから、落ちるのも時間の問題だろうって。ただ、やっぱりその予感を覆してやろうという気もあって、いざ降格が決まった時は、ショックが大きかったですね」
――シーズン終盤は持ち直しましたが……。
「終盤は本当にポジティブな空気がありました。3月に(クリスチャン・)ティッツ監督に代わってからチームの調子が上向いて、今にも降格が決まりそうな状況から、最終節まで引っ張れた。降格したけれど、それはそれでチームが成長する良い機会かなという声は多かったです」
――だから最終節後すぐに、チームに残留すると表明したのですか?
「僕自身もすごく希望を持てて、このチームにまだ力を貸したいと思ったんです。きっと退団してしまう選手も多くて、若手主体のチームになるから、たとえキャプテンではなくても、チームをまとめられるような選手が必要になるはずだと」
――それだけチームに貢献してきたのに、昨季の最終節では、1部昇格を逃してサポーターからの批難の的に。どんな心境でしたか?
「プロとして評価されるのは当たり前だと、真摯に受け止めていました。いろんな人から擁護の声もかけてもらえて嬉しかったですが、パフォーマンスが悪かったのは事実ですし。ただ、僕ひとりが標的にされたことがすごく残念だった。降格した時に僕は覚悟を持って残留したわけで、そこに対するリスペクトを持ってほしかったのが本音です」
「もう、とにかく大変でした。僕が指名された11月まで、チームは開幕から一度も勝てていなくて、まったく余裕がなかったので、自分にできることはなんでもやろうって姿勢でした。しかも、そのタイミングで僕は慣れないボランチにコンバートされて、まさに手探り状態。とりあえず、ポジティブでいることは常に心掛けて、動きが分からなくても、ひたすら走ってチームの助けになろうと必死でこなしました。もう毎試合終わるたびに、声は枯れるし、心身ともに疲れ果てていました」
――しかしキャプテン2年目の翌シーズンに、チームは2部に降格。責任は相当感じていたはずです。
「僕だけでなく、チームメイト全員が負い目を感じていました。実は、みんな心のどこかで今年は落ちるかもしれないという予感があったようでした。毎年残留争いを繰り返していたし、特に降格した前の年は本当にギリギリだったから、落ちるのも時間の問題だろうって。ただ、やっぱりその予感を覆してやろうという気もあって、いざ降格が決まった時は、ショックが大きかったですね」
――シーズン終盤は持ち直しましたが……。
「終盤は本当にポジティブな空気がありました。3月に(クリスチャン・)ティッツ監督に代わってからチームの調子が上向いて、今にも降格が決まりそうな状況から、最終節まで引っ張れた。降格したけれど、それはそれでチームが成長する良い機会かなという声は多かったです」
――だから最終節後すぐに、チームに残留すると表明したのですか?
「僕自身もすごく希望を持てて、このチームにまだ力を貸したいと思ったんです。きっと退団してしまう選手も多くて、若手主体のチームになるから、たとえキャプテンではなくても、チームをまとめられるような選手が必要になるはずだと」
――それだけチームに貢献してきたのに、昨季の最終節では、1部昇格を逃してサポーターからの批難の的に。どんな心境でしたか?
「プロとして評価されるのは当たり前だと、真摯に受け止めていました。いろんな人から擁護の声もかけてもらえて嬉しかったですが、パフォーマンスが悪かったのは事実ですし。ただ、僕ひとりが標的にされたことがすごく残念だった。降格した時に僕は覚悟を持って残留したわけで、そこに対するリスペクトを持ってほしかったのが本音です」