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海外サッカー

対マラドーナ、対セナ…ペレが巻き込まれ続けた比較論争。そして人間エドソンが強いられた母国との緊張関係とは?

THE DIGEST編集部

2023.01.04

 アメリカのスポーツ専門サイト『ESSENTIALLY SPORTS』は、ペレとセナのどちらが偉大かという比較に関してブラジル人の様々な声を紹介。その中で、2人の偉人の死について、セナの方が悲しみが大きかったという意見が多かったのは、やはり34歳の若さでキャリアのピークにある中、レースで命を落とすという衝撃の大きさが影響しているのだろうと同メディアは分析する。
 
 しかし意見の中には、「ペレの成功はずっと以前のことであり、引退後も充実した日々を送ってきた。82歳ということで、その死はより自然なものである」「ペレのことをよく知らない」という時間の経過によるものもあり、また「サッカーが腐敗したスポーツとなり、この競技に対する信頼を失った」というものもあった。

 前述の『The Telegraph』紙はまた、ペレとブラジルは複雑な緊張関係にあると伝え、「ブラジルはペレに恋をした。ペレはこの国を、ほぼ独力によって地球上で最も優れたサッカーの国とした。では、エドソン・アランテス・ド・ナシメント(本名)に対してはどうだろうか? 彼を愛するのは簡単ではないことが分かる」と綴っている。

 ペレというサッカー選手が完全無欠であった一方で、人間としての彼については、様々な見方があったという。同メディアは、「ペレは神との間により緊密な繋がりがあることを証明したがり、彼が末期癌の子どもを励ますと、その子がみるみる回復していったというような様々なエピソードが生まれた。その一方で、彼は大衆との間に壁を築くことに熱心でもあった」と指摘した。

 前述の通り、サッカー大使といった役割を担いながらも、かつての悪名高きブラジルの軍事独裁政権や人種差別問題に対しては消極的な態度をとり、愛人問題やその子どもの認知問題といった私生活のスキャンダル、金銭の問題などが、サッカーの英雄というイメージから大きく乖離したものだったという。

 1970年メキシコ・ワールドカップ(ブラジルが3度目の優勝を果たした大会)のチームメイトであるリベリーノは、「ペレとエドソンは別の存在だと強調しなければならない。彼はピッチ外では幾つも問題を抱え、人の模範になれず、明らかに間違った態度をとることも幾度かあった」と振り返っている。
 
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