専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
海外サッカー

超寡黙なメッシが「喋り始めた」理由。今や敵将と言い争うまでに…

ワールドサッカーダイジェスト編集部

2020.02.01

19年のコパ・アメリカ3位決定戦では、メデルと争った末に退場。試合後には南米サッカー連盟を公然と批判した。(C)Getty Images

19年のコパ・アメリカ3位決定戦では、メデルと争った末に退場。試合後には南米サッカー連盟を公然と批判した。(C)Getty Images

 ひとつ断っておきたいのは、クラブと代表ではメッシの雰囲気がまるで異なるということだ。バルサではやはりメディア対応がほとんどなかったものの、比較的温和で、親しみやすい空気を醸し出す。

 ところが、アルゼンチン代表になると全てが変わる。両チームのチーム状況、チームメイトの質、そして何よりサポーターの反応が大きく異なるからだ。

 ブラジル人の私から言わせれば、アルゼンチンの国民はメッシを絶対的には信頼していない。この天才をサポーターやメディアは非難し、監督も扱いに頭を悩ますばかり。A代表では無冠という事実も強大なプレッシャーとなって圧し掛かる。そんな中である種の“防衛手段”となったのが、寡黙を貫くことだったのではないか。
 
 故郷ロサリオからバルセロナに渡った時、メッシはまだ13歳だった。成長ホルモン投与が必要なほど本当に小さな少年は、当時からとてもシャイで寡黙だったという。

 異国の、それも極めてハイレベルなチームにたったひとり放り込まれた子供にとっては、自分を認めさせ、守る手段はフットボ―ルしかなかったのだろう。「プレーだけは自分を裏切らない」という信条だけが頼りだった。こうしてメッシは口を閉ざしたのだった。

 そんなメッシに変化が起こったのは、19年夏のコパ・アメリカだった。より正確にはブラジルに0―2で敗れたセミファイナルの直後だ。試合後に突然、こうぶちまけて周囲を唖然とさせた。

「この大会は(開催国の)ブラジルが優勝できるように仕組まれている。今日の試合は正反対のジャッジが目立った。審判はブラジルが有利になるように笛を吹いていたんだ」

 続く3位決定戦では、チリのガリー・メデルと揉み合いの末に双方が一発退場。メッシはその試合後、ミックゾーンで今度はコンメボル(南米サッカー連盟)に攻撃の矛先を向けた。

「コンメボルは腐敗している!!」

 勝っても負けてもいつだって寡黙だったメッシが、こんなことを言うなんて……。私を含めて、その場にいた記者たちは誰もが唖然とした。
 

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号