ひとつ断っておきたいのは、クラブと代表ではメッシの雰囲気がまるで異なるということだ。バルサではやはりメディア対応がほとんどなかったものの、比較的温和で、親しみやすい空気を醸し出す。
ところが、アルゼンチン代表になると全てが変わる。両チームのチーム状況、チームメイトの質、そして何よりサポーターの反応が大きく異なるからだ。
ブラジル人の私から言わせれば、アルゼンチンの国民はメッシを絶対的には信頼していない。この天才をサポーターやメディアは非難し、監督も扱いに頭を悩ますばかり。A代表では無冠という事実も強大なプレッシャーとなって圧し掛かる。そんな中である種の“防衛手段”となったのが、寡黙を貫くことだったのではないか。
故郷ロサリオからバルセロナに渡った時、メッシはまだ13歳だった。成長ホルモン投与が必要なほど本当に小さな少年は、当時からとてもシャイで寡黙だったという。
異国の、それも極めてハイレベルなチームにたったひとり放り込まれた子供にとっては、自分を認めさせ、守る手段はフットボ―ルしかなかったのだろう。「プレーだけは自分を裏切らない」という信条だけが頼りだった。こうしてメッシは口を閉ざしたのだった。
そんなメッシに変化が起こったのは、19年夏のコパ・アメリカだった。より正確にはブラジルに0―2で敗れたセミファイナルの直後だ。試合後に突然、こうぶちまけて周囲を唖然とさせた。
「この大会は(開催国の)ブラジルが優勝できるように仕組まれている。今日の試合は正反対のジャッジが目立った。審判はブラジルが有利になるように笛を吹いていたんだ」
続く3位決定戦では、チリのガリー・メデルと揉み合いの末に双方が一発退場。メッシはその試合後、ミックゾーンで今度はコンメボル(南米サッカー連盟)に攻撃の矛先を向けた。
「コンメボルは腐敗している!!」
勝っても負けてもいつだって寡黙だったメッシが、こんなことを言うなんて……。私を含めて、その場にいた記者たちは誰もが唖然とした。
ところが、アルゼンチン代表になると全てが変わる。両チームのチーム状況、チームメイトの質、そして何よりサポーターの反応が大きく異なるからだ。
ブラジル人の私から言わせれば、アルゼンチンの国民はメッシを絶対的には信頼していない。この天才をサポーターやメディアは非難し、監督も扱いに頭を悩ますばかり。A代表では無冠という事実も強大なプレッシャーとなって圧し掛かる。そんな中である種の“防衛手段”となったのが、寡黙を貫くことだったのではないか。
故郷ロサリオからバルセロナに渡った時、メッシはまだ13歳だった。成長ホルモン投与が必要なほど本当に小さな少年は、当時からとてもシャイで寡黙だったという。
異国の、それも極めてハイレベルなチームにたったひとり放り込まれた子供にとっては、自分を認めさせ、守る手段はフットボ―ルしかなかったのだろう。「プレーだけは自分を裏切らない」という信条だけが頼りだった。こうしてメッシは口を閉ざしたのだった。
そんなメッシに変化が起こったのは、19年夏のコパ・アメリカだった。より正確にはブラジルに0―2で敗れたセミファイナルの直後だ。試合後に突然、こうぶちまけて周囲を唖然とさせた。
「この大会は(開催国の)ブラジルが優勝できるように仕組まれている。今日の試合は正反対のジャッジが目立った。審判はブラジルが有利になるように笛を吹いていたんだ」
続く3位決定戦では、チリのガリー・メデルと揉み合いの末に双方が一発退場。メッシはその試合後、ミックゾーンで今度はコンメボル(南米サッカー連盟)に攻撃の矛先を向けた。
「コンメボルは腐敗している!!」
勝っても負けてもいつだって寡黙だったメッシが、こんなことを言うなんて……。私を含めて、その場にいた記者たちは誰もが唖然とした。