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日本代表

苦難を乗り越えたJ1制覇の牽引車!仲川輝人が背番号23に込めた野望とチーム愛

飯尾篤史

2019.12.08

 母校の専修大での教えも、心の拠り所のひとつだった。

「大学時代、(源平貴久)監督がサッカーだけじゃなく、人間性や社会人としてのあり方も熱く指導してくれて。それが今に生きていると思います。うちの大学では『向上心』という言葉をすごく大事にしていた。その言葉を持ちながらやれたのが、腐らずにできた要因かな」

 当時、専修大は関東大学リーグ1部で4連覇を達成した。その原動力が仲川であり、1年先輩の長澤和輝だった。大学からケルンに渡った長澤は、ジェフユナイテッド千葉を経て浦和レッズに加入した2017年、出番を得られなかった。だが、腐らずに準備した結果、秋に日本代表に選ばれ、ACL優勝も経験するのだ。

「あんなに強くて、うまい和輝くんでも試合に出られなくて、プロの世界は厳しいなと思ったこともあります。でも、代表に選ばれるまでになった。去年は自分も似たような感じだったので、刺激になった部分はあります」

 1年前、自身にしか向いていなかった視線は今、チームへも向けられている。

「スタメンで出ることが多くなって、責任感も出てきました。そういう責任感をもっともっと出していかないといけない。年齢も上のほうになってきたので」

 その視線の先に日本代表もあるのだろうか――。そう訊ねると、「マリノスで結果を残せば、チャンスもあると思う」という控えめな言葉が返ってきた。
 
 だが、話題が同級生に及ぶと、言葉に熱が帯びた。仲川が属する92年生まれは「プラチナ世代」と呼ばれるタレント集団。柴崎岳や宇佐美貴史らは10代から日の丸を背負ってきた選手たちである。

「高校時代は別世界の人たちという感覚。大学に入ってからも、彼らは海外に出始めていたので、どんどん離されていくなって。そのレベルに達しないとプロで通用しないのかな、とも思いました。同級生には負けていられない、っていう気持ちは、今も常に持っています」

 ちなみに、19番から23番に変えた背番号について仲川はあらゆるところで「スポンサーである日産自動車にちなんで」と答えている。だが、語呂合わせだけで決めたわけではないだろう。

「いや、『ニッサン』という語呂合わせもいいかなと思ったのは事実です。あと、香川真司くんがドルトムントで23を付けていて、良い番号だなって思っていたんです。自分はスピードタイプなので、23番はマリノスのスピード系の選手が付ける番号になっていくといいなと。そのパイオニアに自分がなろうって」

 自分が背番号の伝統を作る――。クラブ愛はこんなところにも現われている。

 大学時代に培った向上心と、大怪我によって再確認した「サッカーが大好き」という気持ち。中堅選手としての責任感やクラブへの感謝、同級生へのライバル心……さまざまな想いが掛け合わさって、仲川のゴールは生まれる。そのゴールが、仲川自身の成長を加速させていく。

取材・文●飯尾篤史(スポーツライター)

※『サッカーダイジェスト』2019年5月23日号より転載。

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