まだ成長途上で、とくに海外ブランドと真っ向から勝負するわけにはいかないYASUDAは、当面の狙いをニッチな需要に定めている。あえて主流の逆を行くローバックスタイルには、別のメリットもあると寺久保は言う。
「かかとが低い分、足首の可動域が広がりますから、ドリブルやフェイントでも、ディフェンスしながらでも、より踏ん張りが効くんです」
競合他社との差別化は、ヤスダの伝統とYASUDAの独自路線を掛け合わせた“ハイブリッド”でも図ろうとしている。昔ながらのスパイクを、今風のサービスに乗せて、普及していこうとしているのだ。この9月から、スパイクの「サブスクリプション・リユース」という独自のサービスを開始する。
サブスクのサービス利用者には、3か月ごとにYASUDAの新品のサッカーシューズが提供される。それまでのスパイクはYASUDAが回収し、まだ使えるものは再利用する。
リユース(再利用)という発想も、実は「YASUDAらしさ」そのものだと佐藤たちは考えている。倒産したヤスダは、修理に力を入れていた。せっかく購入してもらったスパイクなのだから、是非、長く履いていただきたい、と。
リユースできるスパイクは、いわゆるサッカー新興国の若者たちに届けられる。
「サブスクで戻ってきたスパイクは、一足一足、穴があいていないか、スタッドは残っているかなど点検します。まだ使えるものは清掃して、数がある程度まとまってから送ります」(佐藤)
ゆくゆくは日本の恵まれない子どもたちのための施設にも、リユースのスパイクを提供していく構想を温めながら、まずはサッカー新興国に届けていくと言う。コロナの影響で見通しは立てにくくなっているが、伝手のあるバングラディシュから始める予定だ。
「サッカー新興国に送るのは、YASUDAというブランドを現地で浸透させていくためでもあります。その国に本格的に進出したとき、子どもたちが『あ、このスパイク知ってる』とか、親御さんが『リユースで使ってたんだ』とか――」
佐藤が思い描いているのは、遠くない未来のそんな光景だ。
「将来の夢はサッカー選手」と、小学校の卒業文集に書いていた。しかし、大学卒業後に就職したのは保険会社で、転職を経たのちに自分で最初に立ち上げたのもサッカーとはまったく縁のない広告関係の会社だった。こんな未来が待っているとは、佐藤は想像していなかった。
その一方で、サッカーはずっと続けてきた。小学4年生で始めると、高校までは部活動、大学進学後は草サッカー、社会に出てからはフットサルが中心になった。あの日、戸田市内のフットサル場でヤスダの話になったのも、ボールをずっと蹴りつづけていたからだろう。
最新モデルのラインナップには、佐藤だけでなく寺久保も欲しいと思っていたフットサルシューズ(ターフコート対応シューズ)が加わった。実はあの日、戸田市内のフットサル場でヤスダの話になった会話の相手は、中学時代の同級生でサッカー部の仲間でもあった寺久保だったのだ。
「ヤスダのフットサルシューズって、ないのかな」
「もしあったら、欲しいよな」
(文中敬称略)
取材・文●手嶋真彦(フリーライター)
「かかとが低い分、足首の可動域が広がりますから、ドリブルやフェイントでも、ディフェンスしながらでも、より踏ん張りが効くんです」
競合他社との差別化は、ヤスダの伝統とYASUDAの独自路線を掛け合わせた“ハイブリッド”でも図ろうとしている。昔ながらのスパイクを、今風のサービスに乗せて、普及していこうとしているのだ。この9月から、スパイクの「サブスクリプション・リユース」という独自のサービスを開始する。
サブスクのサービス利用者には、3か月ごとにYASUDAの新品のサッカーシューズが提供される。それまでのスパイクはYASUDAが回収し、まだ使えるものは再利用する。
リユース(再利用)という発想も、実は「YASUDAらしさ」そのものだと佐藤たちは考えている。倒産したヤスダは、修理に力を入れていた。せっかく購入してもらったスパイクなのだから、是非、長く履いていただきたい、と。
リユースできるスパイクは、いわゆるサッカー新興国の若者たちに届けられる。
「サブスクで戻ってきたスパイクは、一足一足、穴があいていないか、スタッドは残っているかなど点検します。まだ使えるものは清掃して、数がある程度まとまってから送ります」(佐藤)
ゆくゆくは日本の恵まれない子どもたちのための施設にも、リユースのスパイクを提供していく構想を温めながら、まずはサッカー新興国に届けていくと言う。コロナの影響で見通しは立てにくくなっているが、伝手のあるバングラディシュから始める予定だ。
「サッカー新興国に送るのは、YASUDAというブランドを現地で浸透させていくためでもあります。その国に本格的に進出したとき、子どもたちが『あ、このスパイク知ってる』とか、親御さんが『リユースで使ってたんだ』とか――」
佐藤が思い描いているのは、遠くない未来のそんな光景だ。
「将来の夢はサッカー選手」と、小学校の卒業文集に書いていた。しかし、大学卒業後に就職したのは保険会社で、転職を経たのちに自分で最初に立ち上げたのもサッカーとはまったく縁のない広告関係の会社だった。こんな未来が待っているとは、佐藤は想像していなかった。
その一方で、サッカーはずっと続けてきた。小学4年生で始めると、高校までは部活動、大学進学後は草サッカー、社会に出てからはフットサルが中心になった。あの日、戸田市内のフットサル場でヤスダの話になったのも、ボールをずっと蹴りつづけていたからだろう。
最新モデルのラインナップには、佐藤だけでなく寺久保も欲しいと思っていたフットサルシューズ(ターフコート対応シューズ)が加わった。実はあの日、戸田市内のフットサル場でヤスダの話になった会話の相手は、中学時代の同級生でサッカー部の仲間でもあった寺久保だったのだ。
「ヤスダのフットサルシューズって、ないのかな」
「もしあったら、欲しいよな」
(文中敬称略)
取材・文●手嶋真彦(フリーライター)