国内テニス

若きボリス・ベッカーの活躍に刺激を受け、自身も17歳で全日本選手権の頂点に~谷澤英彦【プロが憧れたプロ|第6回】

スマッシュ編集部

2020.08.22

憧れのベッカーがウインブルドン史上最年少優勝を遂げた4年後、谷澤英彦(写真左下)もまた史上最年少で全日本選手権を制した。写真:THE DIGEST写真部、(C)GettyImages

 現在、プロとして活躍している選手も、現役を引退してコーチをしている人も、子どもの頃には憧れのプロがいたはずだ――。

【プロが憧れたプロ】シリーズの第6回は、17歳9カ月の史上最年少で全日本テニス選手権男子シングルスを制覇。現役引退後はジュニア育成をはじめ、試合中継の解説などでも活躍する谷澤英彦氏に話しを聞いた。

   ◆   ◆  ◆ 

 少年時代の谷澤は、ジョン・マッケンローとボリス・ベッカーが好きだった。

 7つのグランドスラム・タイトルを誇るマッケンローは、自分と同じ左利きであり、華麗なサーブ&ボレーを用いた前に出ていくプレーに惹かれたという。とはいえ「憧れの選手」というよりも、どちらかというと教科書的な存在だったと振り返る。

 一方、谷澤より4歳年上のベッカーはより身近な存在だった。ウインブルドン・ジュニア出場のためロンドンを訪れた際、ホテルのテレビに映し出されたウインブルドン"本戦"を戦う17歳の金髪少年に目がくぎ付けになったという。

「興奮しました。とにかくプレーがパワフルでダイナミックでした。その姿からは憧れというよりも、今までに体験したことのない強烈なインパクトを受けました」

 世界の名だたるプレーヤーを相手に互角以上の戦い演じ、勝利への階段を登り詰めていくベッカーの姿は、遠征から帰国した後も谷澤の脳裏に焼き付いて離れなかった。
 
「どうしてあんなに速いサービスが打てるんだろう…」チームメイトとの雑談で出てくるのはベッカーの話題ばかり。練習では「こうすればいいのかな」と考えながら取り組んでいたという。

「サービスのフォームをベッカーと同じようにしようとは考えていませんでしたが、例えば『ヒザを深く曲げてパワーを蓄積する』など、彼のフォームを自分なりに分析しながらポイントのようなものを拾っていった記憶はあります」という。

 そして迎えた1989年全日本テニス選手権決勝で谷澤は、それまで通算7勝をマークしていた福井烈をストレートで破って頂点に立った。17歳9カ月での優勝は大会史上最年少記録である。ベッカーが17歳7カ月でウインブルドン最年少優勝を果たした4年後、高校3年生の谷澤もまたコートの中央で満面の笑みを浮かべた。

「翌日の新聞に『和製ベッカー』と書かれたことは、すごくうれしかったですね。もちろんウインブルドンと全日本では戦っているステージが違いますが、自分の中で全日本は『国内最強を決める大会』という位置づけでもあったので素直に喜べたし、これからもっと頑張ろうという気持ちにもさせてくれました」

 それは谷澤が憧れの存在に一歩近づいた瞬間でもあった。

取材・文●小松崎弘(スマッシュ編集部)

【写真】谷澤英彦があこがれたベッカーら伝説の王者たちの分解写真