海外テニス

【レジェンドの素顔2】傷心したマッケンローが迎えた全米オープン。強敵レンドルとの戦い|前編

立原修造

2020.12.15

1982年の全米オープン、マッケンローにはどうしても負けられない理由があった。写真:THE DIGEST写真部

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心を覗いていくシリーズ「レジェンドの素顔」。1982年のウインブルドン決勝でコナーズに敗れた傷心のマッケンローを、さらに強大な宿敵が待ち受けていた。レンドルだ。この時期、マッケンローはとことんレンドルを苦手とし、7連敗を喫する有様だった。しかし、マッケンローには、どうしてもレンドルに負けられない理由があった。

  ◆  ◆  ◆

 マッケンローでも負けるときは負ける。それも、見るも無残な負け方をすることがある。

 本来、テニスというのはそういうスポーツなのだろう。どんな名選手といえども、いつでも勝てるというわけではない。常に取りこぼす危険性をはらんでいるのだ。

 ボクシングや柔道なら、そういうことはない。無敗の王者というのは、これまで何度か存在している。ロサンゼルス・オリンピックで金メダルを獲得した柔道の山下が、負けるところを見たことがある人はいるだろうか?

 しかし、ことテニスに関しては、絶対的な強者は過去に一人もいなかった。おそらく今後も出てくることはないだろう。

―――当然のことかもしれない。

 技術以前の諸要素が、テニスの場合、勝負に大きく影響しすぎるのだ。

 体調、精神力、相性。これらすべてをカバーして、なお相手より優位に立つのは、並大抵のことではない。そのことを可能にするのは、よほど女神に愛された者か、あるいは、天才の類にちがいない。
 
 前者をボルグとするならば、後者はマッケンローということになるだろう。しかし、両者は相前後してつまづくことになる。

 ボルグは自らの神話の完成期にリタイアを余儀なくされてしまったし、マッケンローは
王道を目指しながら、その途上で手痛い敗戦を喫することになった。1982年ウインブルドン決勝におけるコナーズ戦がそれである。

"王者に近づく度に、足もとが滑りやすくなる"とすれば、くしくもマッケンローはウインブルドンの芝に、足もとをすくわれる格好になった。その一戦については、前回で触れた。今回は、その後の彼の姿を追ってみることにしよう。