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国内テニス

大坂なおみが日本国籍の申請へ!彼女の生い立ちや現在までの道のりを、両親のコメントを基に振り返る

内田暁

2019.10.11

テニスとの出会いは、生まれた町である大阪。姉が練習するその傍らでボールを投げたり追いかけていたという。(C)Getty Images

テニスとの出会いは、生まれた町である大阪。姉が練習するその傍らでボールを投げたり追いかけていたという。(C)Getty Images

 10月10日「大坂なおみが日本国籍申請の手続きへ」というニュースが発信された。周囲の心配をよそに迷わず日本国籍を選択した大坂なおみ。あまり知られていない彼女の性格や生い立ち、テニスとの出会いから現在までの道のりを、本人と父レオナルドさん、母、環さんのコメントを基に振り返ろう。

        ■     ■     ■


 テニスに関する最初の記憶は、練習相手の子が打ったボールが、顔に当たったことだという。大坂なおみが、まだ5歳の頃のこと。全米オープン会場でもある、USTAのテニスコートで起きた「トラウマ的な出来事」であった。

 しかし記憶に残っていなくても、彼女がボールと戯れ始めたのは、それよりさらに2~3年ほど前のことだ。生まれた町である大阪で過ごした、幼き日。父親と、1歳半年長の姉のまりが練習するその傍らで、ボールを投げたり追いかける……それが、彼女とテニスの出会いであった。 

 なぜ、テニスだったのか――?「私にはわからないわ。お父さんが始めたことだし、私は何かを自分で決断するには幼すぎたもの」。大坂家の末っ子にとって、テニスは物心がついた時に、すでにそこにあるものだった。「僕は、スポーツは何でも好きなんですよ。バスケットボールや陸上もやっていて、北海道のハーフマラソンに出たこともあります」。その北海道で、人生の伴侶にも出会った父親のレオナルド氏は、テニスを選んだ理由を次のように語った。「たまたま、当時友人とよくやっていたスポーツが、テニスだったんです」
 父親にとっては、テニスは数ある選択肢の中から、「たまたま」その時に掬い上げられたものであった。後にそれが、娘たちの人生の大部分を占めることになるとは、予測もつかない日のことである。

観察眼と分析力を育てた連敗の日々

「子どもの頃、テニスは決して楽しくはなかったわ。だって練習相手は、いつもお父さんとお姉ちゃん。特に最初の頃は、お姉ちゃんばかり勝っていたから。『今日は、もうやりたくない』と思うことばかりだった」。幼少期の記憶をたぐりよせ、大坂なおみは、そう言った。

「なおみにとっては、タフな環境だったと思いますよ。自分が一番弱い状態が、毎日続いていたんですから。お姉ちゃんには勝てない。お父さんには怒られる。家に帰れば宿題もしなくてはいけない。子どもなりに、厳しい生活だったと思います」。 母親の環さんは、愛娘の心の内を忖度する。「だから嫌になって、途中で諦めちゃう子たちもいる。そういう子どももいっぱい見てきました」
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