海外テニス

【レジェンドの素顔9】トップ3から陥落し、全米OPで3回戦負けを喫したコナーズの決意│後編<SMASH>

立原修造

2021.08.13

常にフルスイングするプレースタイルで観客を魅了したコナーズにも、衰えが見え始めた。写真:THE DIGEST写真部

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。前回に引き続き、ジミー・コナーズを取り上げよう。

 1974年、コナーズは全豪、ウインブルドン、全米を制したうえに、20大会で16回の優勝を達成、一躍テニス界の寵児となった。圧倒的な強さだけでなく、常にフルスイングする爽快感あるプレースタイルも観客を魅了した。

 そんな偉大なプレーヤーであっても老いは避けられない。栄華を極めたコナーズの選手人生後半に焦点を当てて見てみよう。

◆  ◆  ◆

コナーズも今じゃただの年寄り

 どんなに偉大なプレーヤーといえども、年齢とともに力が衰えていくことは避けられない。その宿命を数字が冷徹に物語る。

 コナーズは1974年から5年間、世界ランキング1位をキープしてきた。1979年には2位。その後、1984年まではベスト3を外していない。しかし、1986年には8位まで下がった。

 コナーズがどんなに強いプレーヤーであったかという事実は、もはや追憶になろうとしている。早い話が、コナーズとの対戦を迎えても、名前でビビッてくれるプレーヤーなど、いなくなってしまったのだ。
 
 たとえば、86年全米オープン――。

 かつて、全米オープンはコナーズのためにあった。どんなに調子が悪くても、全米オープンを前にすると、コナーズは別人になった。優勝は、74年、76年、78年、82年、83年の5回。しかも、74年は芝、76年はクレー、78年はハードコートという具合に、サーフェスが変わっても問題にしなかった。ナショナル選手権でそんなにもサーフェスをコロコロ変えてしまう全米テニス協会にも首をかしげるが、すべてのサーフェスを制覇したコナーズの快挙には素直に頭が下がる。

 そのコナーズが86年はどうだったか。

 第6シードにランクされたコナーズは、1回戦でスウェーデンのヘンリック・サンドストロームを6-2、6-2、6-2と楽に退けた。2か月前のウインブルドンでは不覚の1回戦負けを喫しているので、今度の1回戦も大いに注目されたが、まわりが拍子抜けするほどの圧勝ぶりだった。

 続く2回戦はイタリアのピストレッシとの対戦。これもやや競ったものの、結局は7-6、6-4、7-5で下した。

 そして、いよいよ3回戦のトッド・ウィッケン戦を迎えた。ウィッケンという男、少々口が悪い。思ったことをズケズケと言う男だというべきか。試合前にも友人をつかまえて、こんなことを言っていた。

「相手がコナーズと聞いて、飛び上がって喜んだよ。楽に勝てる相手だし、勝てば注目されるからな」
 
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初出場のウィッケンに圧倒されたコナーズは…