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海外テニス

大ケガを克服して再びグランドスラム決勝に! “色彩豊かな伝道師”マテック-サンズとは<SMASH>

内田暁

2021.06.23

奇抜なファッションなどテニス界で異彩を放つマテック-サンズだが、アスリートとしては王道を歩んでいる。(C)Getty Images

奇抜なファッションなどテニス界で異彩を放つマテック-サンズだが、アスリートとしては王道を歩んでいる。(C)Getty Images

 その悲鳴は、近隣のコートにも響き渡り、とんでもない何かが起きたという不安を、一瞬のうちに人々に喚起した。

 泣き叫ぶような女性の声は、ウインブルドンンの観客の拍手や歓声を貫いて、しばらく止むことがない。やがて人々の間から、「選手が倒れてケガをしたようだ」「足が、ありえない方向に曲がっていた」との声が、さざ波のように広がっていく。
 
 テニスコートから担ぎ出されたのは、ベサニー・マテック-サンズ。芝に足を滑らせ転倒した彼女は、膝蓋骨の脱臼と、それに伴うじん帯断裂という大怪我を負った。その時、彼女は32歳。ダブルスで全豪オープン、さらには全仏オープンをも制するなど、充実したシーズンの真っただ中だった。

「マテック-サンズが松葉杖をついてロッカールームに来た時、みんな拍手で迎えていて、すごく人望があるんだなと感じました」

 日本の選手からそのような話を聞いたのは、彼女がヒザの手術を終えて間もない、2017年の全米オープンの時だった。

「彼女はダブルスの人気や、選手の地位向上に努めてくれている」

 そんな声も、幾度となく耳にした。

 奇抜なファッションで話題を集め、ともすると色物とも見られかねない彼女の実像が、それら周囲の声から立ち上がってくるようだった。
 
 ベサニー・サンズが、アメリカのテニス界で注目を集めたのは14歳の時。若手の登竜門として知られる、フランス開催のジュニア大会「レ・プチザス(Les Petits As)」で、米国人初の単複優勝者となったのが始まりだった。

 なお同大会の歴代優勝者には、男子ではラファエル・ナダル、女子ではマルチナ・ヒンギスやキム・クリステルスら、後の世界1位が名を連ねる。その系譜に続いた彼女は、大会の直後にプロに転向。同時に、ニックネームの「スティンガー・ビー(刺す蜂)」を冠するアパレルも立ち上げたというのだから、浴びた脚光の眩さがうかがえる。

 ただプロ転向後の彼女は、戦績やプレー内容以上に、ファッションで話題となることが多かった。

 カウボーイハットをかぶってコートに立ち、罰金を科されたこともある。サッカーワールドカップ開催年の2006年ウインブルドンンでは、厳格なドレスコードに則り全身白基調ながら、ショーツにハイソックスというサッカー風の出で立ちで注目を集めた。

 その後もヒョウ柄ウェアや、アメフト選手のように目の下に黒いラインを引くなど、ビジュアル面で革新に挑み続ける。

 その間、ランキングはシングルスで最高30位、ダブルスでもトップ20を維持するなど単複で安定した活躍を見せてはいたが、ツアー優勝やグランドスラムでの上位進出など、突出した戦果を得るには至らなかった。

 そんな彼女にとって転機のシーズンとなったのが、30歳を迎える2015年。この年にダブルスで全豪と全仏を立て続けに制してランキング3位まで上げると、翌年はリオ・オリンピックの混合ダブルスで金メダルを母国にもたらした。

 そして2017年には、ついにダブルス1位に到達。シングルスでもトップ100を維持し、プロ18年目にしてキャリア最高の時を迎える彼女を、もはや色眼鏡で見る人は居なかっただろう。

 膝蓋骨脱臼の悲劇が彼女を襲ったのは、そんな折だった。
 
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