国内テニス

届かなかった夢の舞台、美濃越舞が10年間のプロテニス生活に終止符!「自分の中で出し尽くしたと思えてる」<SMASH>

内田暁

2021.08.14

2011年のプロ転向からグランドスラムを目指して戦ってきた美濃越舞が、今年7月開催の安藤証券オープンでラケットを置いた。写真=本人提供

「今、辞めたことに、もったいないという気持ちはないです」

 そう言い切る声に、逡巡のあやも、自分を説得するような力みもない。

 ごく自然に、心のうちからスッと流れ出てくるような言葉だった。

 美濃越舞、29歳。去る7月に群馬県で開催された安藤証券オープンで、10年のプロテニスプレーヤーのキャリアに終止符を打った。
 
 ただし「今」という小さな一言には、これまで歩んだ紆余曲折の道と、その間に揺れ動いた心の振れ幅が込められてもいる。

 自己最高ランキングは、2018年9月に達した255位。あと1勝、あと数ポイントを取れていれば——という状況がありながら、グランドスラム予選の舞台にはわずかに届かなかったキャリアでもある。
 
 それは、テニスの世界では珍しくない、むしろマジョリティに属する選手の現実。

 同時に、美濃越舞が紡いできた、たった一つの物語。

 その、多数派でありながら唯一無二の、22年の足跡を紐解いてみよう。
 
「今思うと、長くてもったいなかったなって思うんです」

 彼女にはそう悔いる、4年ほどの月日がある。

 テニスを始めたのは、小学1年生の時。高校の保健体育の教員である父親の手ほどきで、3歳年長の姉とともにラケットを握った。

 テニスは楽しかったのか? どんな練習をしていたのか?
 
 それらの問いに対する美濃越の答えは、「よく覚えていないんです」という、あいまいなものが多い。楽しいか楽しくないか? この練習をしたいのか、したくないのか? そのような選択肢は、彼女のなかには、あまり存在しなかったからなのだろう。

「学校に行くのと同じような感覚で、テニスをしていた。好きだからやるとか、嫌だからやめたいとか、そんな風に考えてなかったんだと思います」

 決して、自主的に選び取ったとは言えないテニスという競技。ただ、続けることに疑問を抱かなかったのは、結果や戦績を残したため、周囲が進む道を舗装したからだろう。

 中学3年生の頃には、現在日本ナショナルチームのジュニアコーチを務める中山芳徳に出会い、「プロを意識しはじめた」という。
 
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プロに転向したが進むべき道筋が見えなかった時も