「負けちゃった!」
ぎこちなく浮かべた笑みは、コーチの腕に抱かれると、みるみる崩れ両眼から涙がこぼれた。
本藤咲良、22歳。プロ5年目を迎える彼女にとって、この全日本選手権の1回戦が、キャリア最後の試合となった。
現在のWTAランキングは662位で、最高位は昨年3月の542位。
22歳の決断はあまりに早すぎるように思えるが、「引退のタイミングはコーチが決めてください」と、プロ転向の時から引き際はコーチの松田将十に一任していたという。
松田がその時を最初に本藤に示唆したのは、プロ転向から2年経った時。
「この先2年以内に、250位を切るのが目標。それができなかったら辞めていいよ」
250位という数字は、グランドスラムの予選圏内。プロ転向から4年を区切りに定めたのは、大学に進学していたら、そこが卒業のタイミングだから。この目標設定の背景には、高校卒業時の本藤が、プロ転向を渋っていたことにあった。
名門、高崎テニスクラブに通っていた本藤だが、「高校の頃は、自分がプロで通用するとは思えなかった」と吐露する。
奇妙な物言いになるが、コーチの松田も、本人の自己評価に太鼓判を押す。
「体力測定やインターバル走をやっても、ジュニアに負ける。運動能力は、低い方」
それがコーチの本藤評だ。
ただコーチの目に止まったのは、コート上での読みの良さ。そして練習前のストレッチや、試合後のケアなどは誰よりもする姿だった。
高校時の成績は、全日本ジュニアもインターハイも初戦敗退。ただそこから、「プロとしてどこまでいけるのか、試してみたい」という指導者魂を掻き立てる何かが、彼女にはあった。
「大学を卒業し、会社務めするタイプでもない。テニスを続けていれば、ここ(高崎テニスクラブ)でコーチもできる」
本藤の性格や資質を見極めた上でも、松田はプロ転向を勧めた。曰く「雑草魂の挑戦」のスタートである。
かくして歩んだプロへの道は、本人が選んだというよりも、周囲によって敷かれたレールだった。ただ当然ながら、本人に確固たる意志が無ければ、留まり続けられる世界でもない。本藤にとって最大のモチベーションは、「(清水)綾乃に勝ちたい」の思いだった。
ぎこちなく浮かべた笑みは、コーチの腕に抱かれると、みるみる崩れ両眼から涙がこぼれた。
本藤咲良、22歳。プロ5年目を迎える彼女にとって、この全日本選手権の1回戦が、キャリア最後の試合となった。
現在のWTAランキングは662位で、最高位は昨年3月の542位。
22歳の決断はあまりに早すぎるように思えるが、「引退のタイミングはコーチが決めてください」と、プロ転向の時から引き際はコーチの松田将十に一任していたという。
松田がその時を最初に本藤に示唆したのは、プロ転向から2年経った時。
「この先2年以内に、250位を切るのが目標。それができなかったら辞めていいよ」
250位という数字は、グランドスラムの予選圏内。プロ転向から4年を区切りに定めたのは、大学に進学していたら、そこが卒業のタイミングだから。この目標設定の背景には、高校卒業時の本藤が、プロ転向を渋っていたことにあった。
名門、高崎テニスクラブに通っていた本藤だが、「高校の頃は、自分がプロで通用するとは思えなかった」と吐露する。
奇妙な物言いになるが、コーチの松田も、本人の自己評価に太鼓判を押す。
「体力測定やインターバル走をやっても、ジュニアに負ける。運動能力は、低い方」
それがコーチの本藤評だ。
ただコーチの目に止まったのは、コート上での読みの良さ。そして練習前のストレッチや、試合後のケアなどは誰よりもする姿だった。
高校時の成績は、全日本ジュニアもインターハイも初戦敗退。ただそこから、「プロとしてどこまでいけるのか、試してみたい」という指導者魂を掻き立てる何かが、彼女にはあった。
「大学を卒業し、会社務めするタイプでもない。テニスを続けていれば、ここ(高崎テニスクラブ)でコーチもできる」
本藤の性格や資質を見極めた上でも、松田はプロ転向を勧めた。曰く「雑草魂の挑戦」のスタートである。
かくして歩んだプロへの道は、本人が選んだというよりも、周囲によって敷かれたレールだった。ただ当然ながら、本人に確固たる意志が無ければ、留まり続けられる世界でもない。本藤にとって最大のモチベーションは、「(清水)綾乃に勝ちたい」の思いだった。