海外テニス

【レジェンドの素顔15】“より高く!より速く!”グラフの強烈なフォアハンドができるまで│中編<SMASH>

立原修造

2023.12.21

“つなげるテニス”ではなく“決めるテニス”を身に付けたグラフ。写真:スマッシュ写真部

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。前回に引き続き、ステフィ・グラフを取り上げよう。

 1987年、強烈なフォアハンドを武器に次々と勝ち続けていた驚異の18歳、ステフィ・グラフ。当時、女子テニス界の関心は彼女1人に注がれていると言っても決して過言ではなかった。その彼女のプレー1つ1つは、父親との二人三脚によって築かれてきた。グラフと父親との親子関係を軸に、彼女の成長する過程を振り返ってみよう。

◆  ◆  ◆

エースが取れるフォアハンドの育成

 グラフにはどんなプレースタイルがふさわしいか。その明確なビジョンを持つことが、やがて父親のペーターには必要になってきた。折しも、1970年代の、クリス・エバートの大成功は、娘をテニスプレーヤーに育てたいと願う親たちに、強いインパクトを与えていた。

――両手打ちバックハンドを主体とするベースラインプレーヤーが女子には適している。その後、エバートと同じようなスタイルのプレーヤーが続々とデビューしたことを見ても、その影響力が当時いかに大きかったかがわかる。

 しかし、ペーターはエバートのプレーには大いに感心しつつも、見習おうとは思わなかった。他人の真似をするのが嫌だというわけではなかった。むしろ、盗めるものなら、どんなものでも盗むくらいの貪欲さがあった。
 

 ペーターは早くから、エバートのプレーには2つの危険な点があることを見抜いていたのだ。1つは、両手打ちは腰に良くないということ。もう1つは、長いラリーを続けるのは身体の酷使につながる、ということである。

 くしくも、ペーターの指摘した通り、オースチン、イェガーという2人の有望なプレーヤーが、そのプレースタイルの悪弊が原因とみられる故障によって、コートを去らざるを得なくなった。

「エバートが特別なんだ。誰もがエバートみたいになれるわけではない。だいいち、1つのポイントを取るために何10回もラリーを続けていたら、身体がもたない」

 そう考えたペーターは、"つなげるテニス"より"決めるテニス"をグラフに身に付けさせようとした。

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“決めるテニス”の切り札として力を入れたこととは?