「大概の人は、心、折れると思うんです。ほとんどの人が折れるだろうから……同じことやったら、カッコ悪いなと思って。自分は、そうでない側に回ろうと思って」
朴訥な口調に幾分の矜持の色を乗せ、口角の片側を少し上げながら、彼はややニヒルに笑う。
両サイドを刈り込んだ飾り気のない短髪に、屈強な180センチの体躯。
見た目の印象はジュニア時代からさほど変わらないが、内田海智も、この8月23日に28歳を迎えた。現在のランキングは、169位。最高位は、先週記録した168位。つまり彼は今現在、キャリア最高の時を走っている。
ジュニア時代には、ウインブルドン・ジュニアと全米オープン・ジュニアで4強入りし、最高ランキングは世界3位を記録した。「子どもの頃から、人より腕力も握力もあった」と自負するパワーを生かし、強打を打ち込む実直な攻撃テニスがトレードマーク。少年時代から切磋琢磨した西岡良仁と対照的なスタイルのため、なおのこと「柔の西岡、剛の内田」のイメージは定着した。
実際に内田は鳴り物入りでプロ転向した後も、質実剛健のテニスを貫く。ただ、西岡が18歳にしてグランドスラム本戦出場やアジア大会金メダルの活躍を見せる中、内田の歩む道に日は当たりにくかった。
その過程では、批判や、心無い言葉を耳にしたこともあったようだ。
「周りに、色々言われもしましたが。言う人はいるんですけど、やっぱり」
うつむき加減でポツリとこぼす一言に、苦渋や反骨精神を込めた。悔しさはある。西岡やニック・キリオスら、早々に結果を残す同世代の姿を見ては、焦燥を覚えもしただろう。
それでも彼は、自分を信じ、負けてもツアーを周りつづけた。
「大概の人は負けが続くと、出場大会のグレードを落としたり、日本に帰ったりと、間を挟みがちなんです。でも僕は負け続けても、できるだけ自分よりレベルの高いところにチャレンジし続けた。いろんな国に挑戦し続け、自分のテニスが噛み合う"場所"を探した」
あまりに真っすぐなその哲学は、効率面を考えた時には、マイナスに働くこともあるだろう。それでも彼が信念を貫けたのは、「プロ転向以降、コロナ禍の2020年を除けば、年間最終ランキングを毎年上げていたから」だ。
「いろいろ言う人には、『いやいや、成長してるやん』って思ってました。これが成長せんくなった時には、もっと言えよと。強くなっている実感は日々、一年ごとにあったので、辞める理由はないなって。どんどんチャレンジする力にはなりましたね」
その「チャレンジする力」の背景には、周囲の人の支えも大きいと彼は言った。経済的に支援してくれたスポンサー。8年来のアルゼンチン人コーチ。最初で生涯のコーチでもある父親の、「とにかく、ひたむきにやれ」という薫陶も、彼のイズムの主柱となった。
朴訥な口調に幾分の矜持の色を乗せ、口角の片側を少し上げながら、彼はややニヒルに笑う。
両サイドを刈り込んだ飾り気のない短髪に、屈強な180センチの体躯。
見た目の印象はジュニア時代からさほど変わらないが、内田海智も、この8月23日に28歳を迎えた。現在のランキングは、169位。最高位は、先週記録した168位。つまり彼は今現在、キャリア最高の時を走っている。
ジュニア時代には、ウインブルドン・ジュニアと全米オープン・ジュニアで4強入りし、最高ランキングは世界3位を記録した。「子どもの頃から、人より腕力も握力もあった」と自負するパワーを生かし、強打を打ち込む実直な攻撃テニスがトレードマーク。少年時代から切磋琢磨した西岡良仁と対照的なスタイルのため、なおのこと「柔の西岡、剛の内田」のイメージは定着した。
実際に内田は鳴り物入りでプロ転向した後も、質実剛健のテニスを貫く。ただ、西岡が18歳にしてグランドスラム本戦出場やアジア大会金メダルの活躍を見せる中、内田の歩む道に日は当たりにくかった。
その過程では、批判や、心無い言葉を耳にしたこともあったようだ。
「周りに、色々言われもしましたが。言う人はいるんですけど、やっぱり」
うつむき加減でポツリとこぼす一言に、苦渋や反骨精神を込めた。悔しさはある。西岡やニック・キリオスら、早々に結果を残す同世代の姿を見ては、焦燥を覚えもしただろう。
それでも彼は、自分を信じ、負けてもツアーを周りつづけた。
「大概の人は負けが続くと、出場大会のグレードを落としたり、日本に帰ったりと、間を挟みがちなんです。でも僕は負け続けても、できるだけ自分よりレベルの高いところにチャレンジし続けた。いろんな国に挑戦し続け、自分のテニスが噛み合う"場所"を探した」
あまりに真っすぐなその哲学は、効率面を考えた時には、マイナスに働くこともあるだろう。それでも彼が信念を貫けたのは、「プロ転向以降、コロナ禍の2020年を除けば、年間最終ランキングを毎年上げていたから」だ。
「いろいろ言う人には、『いやいや、成長してるやん』って思ってました。これが成長せんくなった時には、もっと言えよと。強くなっている実感は日々、一年ごとにあったので、辞める理由はないなって。どんどんチャレンジする力にはなりましたね」
その「チャレンジする力」の背景には、周囲の人の支えも大きいと彼は言った。経済的に支援してくれたスポンサー。8年来のアルゼンチン人コーチ。最初で生涯のコーチでもある父親の、「とにかく、ひたむきにやれ」という薫陶も、彼のイズムの主柱となった。