鋭角に刺さるバックのクロスで相手を追い出し、すかさず前に入ってスイングボレーを叩き込む。
あるいは、フォアのループで相手を押し下げ、浅い返球を迷わずダウンザラインに決める。
コートを広く、なおかつ高いボールも用いて組み立てる三次元テニスは、奈良くるみの真骨頂だ。
東レパンパシフィックオープン予選の1回戦。"キャリア最後"となる大会を、奈良は1時間に満たない快勝でスタートした。
引退のその決断を、奈良は「降ってきた」の言葉で表現した。
「本当に説明がつかないんですが、ふと、『今シーズン、これで辞めることがわたしにとって良い道だ』という思いが、降ってきたではないですが、そう感じる瞬間があって」
その「瞬間」とは、今年6月上旬。傍目には、完全復調への兆しに映る、韓国のITF25,000ドル大会優勝の直後だった。
「降ってきたのは、本当に韓国の優勝の次の日くらい。自分がすごく頑張れている、やれている。努力できている自分を認められたところがあった中で、でもケガもして翌週の大会は出られなかった。それも含めて優勝した次の日に、自分の中で引退を決断しました」
引退の決意を真っ先に伝えたのは、10年一緒にツアーを周り、2014年のツアー優勝を含むキャリア最高の日も、そして「これ以上は頑張れない」と泣いた日も、共に過ごしてきたコーチの原田夏希氏。韓国で優勝し、今季最大の目標としていた全米オープン予選出場に向けて、話し合っていた時だという。
「夏希さんと今後のスケジュールの話しをした時に、何があってもわたしは今シーズンで辞めると告げました。びっくりしていましたが、夏希さんとは、ずっと一緒にやってきたので……ほんと……」
そこまで言うと言葉につまり、「ごめんなさい」と言うと目元を指でそっとぬぐう。
「じゃあ、今シーズン、最後までがんばろう」
それが、コーチから掛けられた言葉だった
目標とした全米オープン予選には、大会会場には足を運ぶも、わずか"一番アウト"で出場は叶わなかった。
それでも彼女は会場を歩きながら、「2013年にここで予選を勝ち上がった時は、すごくうれしかったな」、「2017年にクズネツォワ選手に2回戦で勝って3回戦に入ったことは、良い思い出だったな」と、そこかしこに染み込む記憶を集めたという。
あるいは、フォアのループで相手を押し下げ、浅い返球を迷わずダウンザラインに決める。
コートを広く、なおかつ高いボールも用いて組み立てる三次元テニスは、奈良くるみの真骨頂だ。
東レパンパシフィックオープン予選の1回戦。"キャリア最後"となる大会を、奈良は1時間に満たない快勝でスタートした。
引退のその決断を、奈良は「降ってきた」の言葉で表現した。
「本当に説明がつかないんですが、ふと、『今シーズン、これで辞めることがわたしにとって良い道だ』という思いが、降ってきたではないですが、そう感じる瞬間があって」
その「瞬間」とは、今年6月上旬。傍目には、完全復調への兆しに映る、韓国のITF25,000ドル大会優勝の直後だった。
「降ってきたのは、本当に韓国の優勝の次の日くらい。自分がすごく頑張れている、やれている。努力できている自分を認められたところがあった中で、でもケガもして翌週の大会は出られなかった。それも含めて優勝した次の日に、自分の中で引退を決断しました」
引退の決意を真っ先に伝えたのは、10年一緒にツアーを周り、2014年のツアー優勝を含むキャリア最高の日も、そして「これ以上は頑張れない」と泣いた日も、共に過ごしてきたコーチの原田夏希氏。韓国で優勝し、今季最大の目標としていた全米オープン予選出場に向けて、話し合っていた時だという。
「夏希さんと今後のスケジュールの話しをした時に、何があってもわたしは今シーズンで辞めると告げました。びっくりしていましたが、夏希さんとは、ずっと一緒にやってきたので……ほんと……」
そこまで言うと言葉につまり、「ごめんなさい」と言うと目元を指でそっとぬぐう。
「じゃあ、今シーズン、最後までがんばろう」
それが、コーチから掛けられた言葉だった
目標とした全米オープン予選には、大会会場には足を運ぶも、わずか"一番アウト"で出場は叶わなかった。
それでも彼女は会場を歩きながら、「2013年にここで予選を勝ち上がった時は、すごくうれしかったな」、「2017年にクズネツォワ選手に2回戦で勝って3回戦に入ったことは、良い思い出だったな」と、そこかしこに染み込む記憶を集めたという。