全米オープンテニス予選で、3人の日本人女子選手が本戦に王手を掛け、いずれも、最後の一段を上り切るには至らなかった。
ただ、それぞれが各々の悩みや葛藤を抱えた中で、次につながる戦いだったのは間違いない。キャリアにおける現在地は異なるも、通底する命題に臨んだ、三者三様の物語とは――?
「思い返せば、ズレ始めたきっかけは、オリンピックだったと思います」と日比野菜緒は静かに言った。虚無の夏から1年近く、彼女は「すごく苦しかった」と打ち明ける。
「頑張りたいのに、頑張れない」
自分でもどうしようもないもどかしさや、周囲への申し訳なさ、そして外界と自身との比較……それらが日々胸を圧し、「やめたいと毎日泣いていた」時期もあったという。
なぜ、心身の歯車が狂い始めた起点が、東京オリンピックだったのか?
「オリンピックってみんなに応援されるものだと思っていたのに、開催を反対される方も多かった。このパンデミックの最中に、本当にスポーツをしていていいのかな、テニスって本当に私の人生で大切なのかな、と思ってしまったんです」
もとより、“国を代表する”ことに誇りを覚え、オリンピックでの活躍を夢見てきた選手である。「(コーチの竹内)映二さんをオリンピックのベンチに連れていく」ことを最大の目標に掲げていただけに、無人の東京オリンピックの観客席を見た時、無性に悲しくて仕方なかった。
再び前向きにコートに向かえるようになったのは、ついひと月ほど前のこと。きっかけは、母親の一言だった。
「もう一度頑張ってほしい。あなたには私みたいに、本当はやれたかもしれないのにやらなかっただけ……みたいな後悔をしてほしくない」
その母の思いは、「なんであそこで頑張らなかったんだろうと、一生悔いて生きていくのが何より怖い」という彼女の人生観に、どんな言葉より深く共鳴した。
「応援してくれる人たちのためにも、もう一度頑張ろう」。そう思えた時、不思議と幸運も巡ってくる。
ただ、それぞれが各々の悩みや葛藤を抱えた中で、次につながる戦いだったのは間違いない。キャリアにおける現在地は異なるも、通底する命題に臨んだ、三者三様の物語とは――?
「思い返せば、ズレ始めたきっかけは、オリンピックだったと思います」と日比野菜緒は静かに言った。虚無の夏から1年近く、彼女は「すごく苦しかった」と打ち明ける。
「頑張りたいのに、頑張れない」
自分でもどうしようもないもどかしさや、周囲への申し訳なさ、そして外界と自身との比較……それらが日々胸を圧し、「やめたいと毎日泣いていた」時期もあったという。
なぜ、心身の歯車が狂い始めた起点が、東京オリンピックだったのか?
「オリンピックってみんなに応援されるものだと思っていたのに、開催を反対される方も多かった。このパンデミックの最中に、本当にスポーツをしていていいのかな、テニスって本当に私の人生で大切なのかな、と思ってしまったんです」
もとより、“国を代表する”ことに誇りを覚え、オリンピックでの活躍を夢見てきた選手である。「(コーチの竹内)映二さんをオリンピックのベンチに連れていく」ことを最大の目標に掲げていただけに、無人の東京オリンピックの観客席を見た時、無性に悲しくて仕方なかった。
再び前向きにコートに向かえるようになったのは、ついひと月ほど前のこと。きっかけは、母親の一言だった。
「もう一度頑張ってほしい。あなたには私みたいに、本当はやれたかもしれないのにやらなかっただけ……みたいな後悔をしてほしくない」
その母の思いは、「なんであそこで頑張らなかったんだろうと、一生悔いて生きていくのが何より怖い」という彼女の人生観に、どんな言葉より深く共鳴した。
「応援してくれる人たちのためにも、もう一度頑張ろう」。そう思えた時、不思議と幸運も巡ってくる。