昨年秋――。彼女は全日本選手権や国際大会の会場でも、どこか眠たそうに見えた。
阿部宏美は、今年の春に卒業を迎える筑波大学の4年生。全日本学生テニス選手権(通称インカレ)単複優勝など、大学テニスのあらゆるタイトルを携えプロ転向したのが、昨年12月のことである。
そんな彼女は昨秋、卒業論文のラストスパートに追われていた。連日ベッドに向かうのは夜中の2時頃。彼女が卒論に真摯に打ち込んだのは、生来の実直で真面目な性格もあるが、もう一つには、その内容にもあっただろう。
【車いすを使用する体育学生の学生生活の現状と課題】
それが彼女の、卒論テーマ。彼女がこのテーマを選んだ最大の理由は、同じ筑波大学テニス部に、車いす利用者がいたからだという。そのチームメイトと行動を共にする中で知った、友人が学内ですら直面する多くの不都合。それらの現状を指摘し改善の一助になればとの想いが、彼女に妥協を許さなかった。
阿部の卒論テーマの動機づけとなった学生の名は、船水梓緒里。
車いすテニス選手として国際大会を転戦する彼女は、ITF(国際テニス連盟)ランキング15位につけ、昨年の全米オープンでグランドスラムデビュー。今年1月の全豪オープンにも、単複で参戦した。
この4月からはIT系企業社員として新生活をスタートし、同時に来年のパリ・パラリンピックを目指す。そんな船水がテニスと出会ったのは、14歳の時。サーフィン中の事故により車いす利用者となった彼女は、数あるスポーツの中から、テニスを選んだ。
「もともと私はスポーツが好きだったので、母は何かスポーツをさせようと思ったようです。車いすでできるいろんなスポーツを見たり体験しました。バスケだったり、卓球やバドミントンもやったのですが、テニスを選んだ一番のきっかけは、家の近くに吉田記念テニス研修センターがあったから。家から通える場所があったのと、あとは自分の中で、テニスが一番難しかったから。すごく未知な競技がテニスだったので、やりたいなと思って始めました」
千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)は、車いすテニスレッスンの草分け的存在で、先日引退した国枝慎吾さんもTTC育ち。船水はその偉大な先達の背を追うように、高校も国枝さんの母校に通った。
ただ、“世界の国枝”を育んだ地域でありながらも、車いすテニスに打ち込む環境としては、必ずしも恵まれていたわけではないという。
阿部宏美は、今年の春に卒業を迎える筑波大学の4年生。全日本学生テニス選手権(通称インカレ)単複優勝など、大学テニスのあらゆるタイトルを携えプロ転向したのが、昨年12月のことである。
そんな彼女は昨秋、卒業論文のラストスパートに追われていた。連日ベッドに向かうのは夜中の2時頃。彼女が卒論に真摯に打ち込んだのは、生来の実直で真面目な性格もあるが、もう一つには、その内容にもあっただろう。
【車いすを使用する体育学生の学生生活の現状と課題】
それが彼女の、卒論テーマ。彼女がこのテーマを選んだ最大の理由は、同じ筑波大学テニス部に、車いす利用者がいたからだという。そのチームメイトと行動を共にする中で知った、友人が学内ですら直面する多くの不都合。それらの現状を指摘し改善の一助になればとの想いが、彼女に妥協を許さなかった。
阿部の卒論テーマの動機づけとなった学生の名は、船水梓緒里。
車いすテニス選手として国際大会を転戦する彼女は、ITF(国際テニス連盟)ランキング15位につけ、昨年の全米オープンでグランドスラムデビュー。今年1月の全豪オープンにも、単複で参戦した。
この4月からはIT系企業社員として新生活をスタートし、同時に来年のパリ・パラリンピックを目指す。そんな船水がテニスと出会ったのは、14歳の時。サーフィン中の事故により車いす利用者となった彼女は、数あるスポーツの中から、テニスを選んだ。
「もともと私はスポーツが好きだったので、母は何かスポーツをさせようと思ったようです。車いすでできるいろんなスポーツを見たり体験しました。バスケだったり、卓球やバドミントンもやったのですが、テニスを選んだ一番のきっかけは、家の近くに吉田記念テニス研修センターがあったから。家から通える場所があったのと、あとは自分の中で、テニスが一番難しかったから。すごく未知な競技がテニスだったので、やりたいなと思って始めました」
千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)は、車いすテニスレッスンの草分け的存在で、先日引退した国枝慎吾さんもTTC育ち。船水はその偉大な先達の背を追うように、高校も国枝さんの母校に通った。
ただ、“世界の国枝”を育んだ地域でありながらも、車いすテニスに打ち込む環境としては、必ずしも恵まれていたわけではないという。